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プロローグ少年は、重い扉を静かに開いた。 そこは神社の社務所だった。足元に転がしておいた懐中電灯を拾い上げ、少年は恐る恐る中を覗き込んだ。 真夏であるにも関わらず、日はもうすっかり暮れていた。 遠くの方から祭りばやしが聞こえてくる。明日から始まる夏祭りのために誰かが練習しているのだろう。 真っ暗な社務所の中に、一歩足を踏み入れた。社務所の中は灯り一つなかった。懐中電灯の光など簡単に飲み込んでしまうほどの濃い闇が、少年を包み込んだ。 ごくりとつばを飲み込み、それでも少年は奥へと進んだ。 一番奥へと辿りつき、目指していたものを見つけて足を止めた。 それは、一体の神輿だった。 思わずその場に座り込んで膝を抱えた。どれだけ見ても飽きないと思った。 その神輿は、明日の夏祭りで担がれるものだった。 金と赤を基調として配色してあり、派手ではない、しかしはなやかな飾り付けが細やかにほどこしてある。木で作られた担ぎ棒はしっかりと磨きこまれてあり、懐中電灯の光に反射して、黒く鈍い光を放っていた。 いつの頃からかは覚えていないが、少年は毎年この神輿を担いでいた。 背の低い少年は、大人達が担ぐこの神輿を背伸びしないと担げなかった。地面から足が離れ、担ぎ棒にしがみついてるだけの時もしょちゅうだ。 それでも少年は、毎年一瞬だけでもその神輿を担げるという事に誇りを感じていた。もちろん明日も担ぐつもりだ。それが楽しみで寝付けず、気がついたら家を抜け出してこの社務所に向かっていたのだ。 ふと我に返り、少年は立ち上がった。 もっと見ていたいが、誰かに見つかるといけない。そのうち、隣の神社に住んでいる住職が見回りに来るだろう。心の中で神輿に別れを告げ、少年は振り返った。 目の前に、小さな女の子が立っていた。 少年は思わず力いっぱい叫んでしまった。 顔を上げた女の子を見て、少年は慌ててしゃがみ込んだ。 「おい、香奈じゃないか!どうしてこんなところにいるんだよ」 女の子が、少年を見つめた。 「ねえ、光ちゃん。香奈、お神輿もっと見たいよ」 「駄目だよ、早くここを出なきゃ。大人の人に見つかったら怒られちゃうよ」 少年の横をすり抜けて、女の子が神輿に駆け寄った。 「光ちゃん、駄目。香奈、じいちゃんのお神輿、もっと見るの」 「香奈!いいからこっちに来なさい」 少年の耳に、遠くから響く住職の声が聞こえた。 「おい、誰かいるのか?どこにいるんだ?」 とっさに振り返った。 さっきの叫び声を聞かれたに違いない。でも社務所にいる事はばれていないようだ。今のうちに逃げれば見つからずに済む。 懐中電灯のスイッチを切り、少年は暗闇の中で女の子の腕をつかんだ。 「さあ、外に出るから、おとなしくしてるんだよ」 ふいに、女の子の体が大きく震えた。 「どうした、香奈?」 少年は、女の子の顔を覗き込んだ。 「……恐い」 女の子が呟いた。 「恐い、恐い、恐いー!」 びっくりしながらも、少年は暴れ出した女の子の両肩を強くつかんだ。 「大丈夫だよ、恐くないから。すぐに外に連れて行ってあげるからね」 「嫌ー!暗いの恐いー!」 女の子は身をよじりながら、本格的に泣き始めた。 「おい、香奈。頼むから静かにしてくれよ」 途方に暮れながら、少年は女の子をしっかりと抱きしめた。 途端に、女の子はぴたりと動きを止めた。 ほっと息をついてから、くすんくすんと泣きじゃくる女の子を抱き上げて出口に足を向けた。 次の瞬間、社務所に光が溢れた。 眩しさに目を細めながら顔を上げると、電気のスイッチの前に、住職の姿があった。 「あ……」 少年は、身動きが取れなくなった。 「おまえ達、ここで何をしているんだ」 住職の低い声が、立ちすくむ少年の耳に届いた。 抱き上げていた腕から滑り落ちた女の子が、そのまま出口に向かってパタパタと走り出した。 住職が、女の子に目を向けた。 「これ、待ちなさい。おまえはどこの子なんだね?」 手を伸ばした住職をちょろちょろとかわし、女の子は一人で社務所から出て行った。 少年は、ただただ唖然としてその光景を眺めていた。 女の子の後ろ姿を見送っていた住職が、一回咳払いをしてから少年に顔を向けた。 「で、おまえはここで何をしているんだ?」 ……最悪だ。 ぼんやりとした頭で、少年はそう思っていた。 |
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