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一、



 神崎香奈は、目覚し時計が放つ大量の光によって目を覚ました。

 その目覚まし時計は二〇センチ四方の大きなものだ。セットした時間になると、真中に備え付けてある五体の人形が回転し、電飾が色とりどりの光を放つという仕掛けのものだった。  

 雑貨屋と時計屋を一〇軒くらい回って、ようやくこの時計を見つけた。安くはなかったが、香奈は一目見た瞬間に買う事を決めていた。

 ベッドから起き上がり、カーテンを開け放してから時計の光を止めた。

 天然の光が香奈の体に降り注いだ。そろそろ厳しくなりつつある四月の日差しから思わず逸らした香奈の視線が、タンスの上にある写真に止まった。

 その写真には、父、母、香奈。そして、もうすでに亡くなっている祖父が並んでいた。

「じいちゃん、おはよう」

 笑顔を浮かべながら、香奈は写真立てをそっとつついた。

 香奈は一七歳、高校二年生になったばかりだった。都内の女子校に通っている。

 元々、香奈は都内の下町生まれだった。祖父が亡くなったのをきっかけに神崎家は少し離れた地に一戸建てを新築して移り住んだ。

 高校に進学する時、香奈は生まれた土地にある高校を選んだ。祖父と一緒にいた街が好きだったからだ。



 この日は始業式だった。

 校庭に並んだ香奈は、大きな欠伸をした。

 この学校は三年間クラス替えがない。新学期とはいえ生活に大きな変化があるわけでもなく、クラス全員、緊張感のかけらもなかった。

 香奈はぼんやりと空を見上げた。真っ青な空に、小さな雲がぽっかりと浮かんでいた。

「では、次に新任の先生を紹介します。遠藤先生、こちらにどうぞ」

 校庭中にどよめきが広がり、香奈は壇上に視線を戻した。

 壇上には若い男性が一人、立っていた。

 背は一八〇センチくらいだろうか。長身の体に、整った小さな顔が乗っていた。

 隣に並んでいる友人が、香奈に嬉しそうな顔を向けた。

「ねえ、あの先生ってかなりレベル高いと思わない?」

「ん……、まぁね」

 ぼんやりと返事をした香奈を見て、友人がため息をついた。

「そっかぁ。香奈って、こういう方面の話に興味ないんだよね」

「うーんと。まあ、かっこいいとは思うんだけどね」

 曖昧に返事をした香奈に見切りをつけ、友人は別の人と話を始めてしまった。

 新任教師が、マイクの前で挨拶を始めた。

「遠藤光一郎と申します。専門科目は国語です。私は地元に住んでいるため、この高校の事は昔から知っていました。このような名門の高校で働ける事に大変な喜びを感じています。どうぞよろしくお願いします」

 後ろに下がった光一郎に替わって、校長がマイクの前に立った。

「遠藤先生には、二年E組の担任をして頂きます」

 E組である香奈のクラスメートが歓声を上げた。

「……新任かぁ。面倒くさいなぁ」

 香奈は一人で呟き、頭をかいた。



 式が終わり、校舎に戻ろうした香奈は、前年の担任である竹田に呼び止められた。

「ねえ、神崎さん。ちょっと職員室に来てくれない?遠藤先生を教室まで連れてってほしいの」

 振り返った香奈は、思いっきり眉をひそめた。

「えー、なんでわざわざ?子供じゃないんだし、一人で来れるでしょ」

「そういう事を言わないの。クラス委員のあなたに先に挨拶させてやろうっていう、私の優しさなんだから。なんたって、あなたは愛想が悪いから」

「……悪かったですね」

 香奈のふくれた顔を見て、竹田が笑顔を浮かべた。

「まあでも、慣れてみればあなたって本当は気さくないい奴なのよね。今のクラスでも結構人望あるし。だからこそ、早く新しい担任と仲良くなってほしいのよ」

 香奈は、竹田を寂しげに見つめた。

「竹田先生、どうして今年は違うクラスになっちゃったの?やっと最近、先生に慣れて来たってのに……」

「あなた、一年も一緒にいたのに、今頃私に慣れたの?」

「人見知り激しいんです、私」

「激し過ぎるの。いいから、文句言ってないでついて来なさい」

 竹田に腕を取られ、香奈はため息をつきながら職員室に向かった。

 職員室に入った竹田が、香奈を引きずったまま光一郎に近づいた。

「遠藤先生、二年E組のクラス委員を紹介しておきますね」

「ああ、竹田先生。ありがとうございます」

 光一郎が笑顔で振り返り、香奈に目を向けた。

 自分と目があった瞬間、光一郎の表情がピキンと凍ったのを、香奈は見逃さなかった。

 光一郎の表情を見逃したらしい竹田が、香奈を示しながら紹介を始めた。

「この子が二年E組のクラス委員、神崎香奈です。ちょっぴりつかみどころがないけど、まあ根はいい子なんですよ。よろしくお願いしますね」

 光一郎が、香奈を見つめたまま呟いた。

「……神崎、香奈?」

 異変に気がついた竹田が、怪訝な顔をして光一郎を覗き込んだ。

「……あの、遠藤先生。神崎さんの事知ってるんですか?」

 はっとしたように、光一郎が竹田に目を向けた。

「いえ、知りませんよ」

「でも、なんだか様子が変ですよ。それに、眉間にものすごいしわが……」

「いや、あの。ちょっと日差しが眩しくて」

「ここって室内ですけど」

「う……」

 声を詰まらせた光一郎が、明らかに作り上げた笑顔を浮かべつつ、後ずさりした。

「あの、竹田先生。私、学活の準備して来ますから、また後ほど……」

 二人の前を離れた光一郎が、辺りの物や人にガッツンガッツンぶつかりながら、自分の机に向かって遠ざかって行った。

 竹田が、香奈を振り返った。

「ねえ、神崎さん。あなた、遠藤先生と知り合いなの?」

「いいえ」

 香奈は首を振った。

「私、あんな濃い顔の人、知りません」

「そう?でも遠藤先生、なんかものすごく怪しいリアクションしてるじゃない。全然心当たりない?」

「ええ、まったく。元々ああいう人なんですよ、きっと」

 腑に落ちないような顔をした竹田が、光一郎の後ろ姿を眺めながら首を傾げた。

「そうかなぁ。朝は普通だったと思うんだけど……」



 香奈と光一郎は、並んで職員室を出た。

 一回咳払いをして、光一郎が香奈に顔を向けた。

「じゃあ、行こうか」

「はあ」

 香奈は、歩き出した光一郎の後ろに続いた。

 三階にあるE組の教室まで、二人は無言で歩いた。

 ぼんやりと光一郎の背中を眺めながら、香奈は考えてみた。この人、知り合いだったっけ?

 まず、顔には見覚えがない。それに、こんなに背がでっかい人を至近距離で見たこともあまりない。強いて挙げるとしたら、この背中には見覚えがあるような気がしないでもない。でも、同じような背中を持つ人は、きっと山ほどいるだろう。

 考えがまとまらないまま歩いていた香奈は、教室の前で立ち止まった光一郎にぶつかりかけ、慌てて足を止めた。

 ドアに手を掛けた光一郎が、肩越しに香奈を振り返った。

「……君は、何も覚えてないのかな?」

 怪訝な顔をして、香奈は光一郎を見つめた。

「……何の事ですか?」

「いや、分からないのならいいよ」

 光一郎が、香奈の目を避けるように顔を戻した。

 ドアを開け、教室に一歩足を踏み入れようとして、光一郎はサッシの上部に思いっきり頭をぶつけ、声も出さずにうずくまった。

 新任教師のいきなりな登場に、教室中が一瞬にして静まり返った。

 光一郎の丸まった背中を見下ろしながら、香奈は自分にしか聞こえない声で呟いた。

「……これってもしかして、挨拶代わりの体を張った一発芸?」

 その謎は解ける事なく、新学期が始まった。



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