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二、



 一週間、香奈は光一郎を観察してみた。

 光一郎は、どうにも謎の男だった。

 クラスメートの前では、平均以上の教師だった。新任とは思えないほど落ち着いて授業をこなし、初めて教室に登場したシーンをすっかり忘れたらしい生徒達の人望を集めつつあった。

 しっかりしていて頼りになる兄貴的存在として、着実にファンを作り続けていた。

 しかし、香奈と二人でいると様変わりするのだ。

 ある時は、日誌を取りに行った香奈に、間違って「神輿の歴史」という本を手渡して慌てていた。香奈は思わず「先生ってお神輿マニアなんですか?」と突っ込んでしまった。

 ある時は、後ろから声を掛けた香奈に驚いて椅子から転げ落ち、一緒に落下したチョーク入れを頭に乗せて粉だらけになっていた。香奈は思わず「コントじゃないんですから」と突っ込んでしまった。

 あまり周囲の雑音にとらわれないタイプの香奈も、光一郎の怪しさがさすがに気になり始めた。



 ある日の朝。香奈は校内放送で呼び出され、職員室に向かった。

「おはようございます、遠藤先生。なにかご用ですか?」

「おう、おはよう。実は、このプリントを運んでほしいんだ。俺一人じゃ無理そうだから」

 光一郎の机の上には、一メートルほどの高さに重ねたプリントが置いてあった。

「なるほど。確かにこれは一人じゃ無理ですね。半分持ちますよ」

「すまんな。じゃあ、頼むぞ」

 光一郎が三分の一ほどの量を香奈に手渡した。

「先生、無理しないでください。半分ずつでいいですよ」

 光一郎が笑顔を浮かべた。

「大丈夫だよ。それだけ持ってもらえば十分だから。さあ、行こうか」

 二人は職員室を出て、並んで歩き始めた。

 もうすでに朝の学活が始まっている時間のため、廊下には二人以外、誰もいなかった。

 光一郎が、プリント越しに顔を向けた。

「本当に悪いなぁ、神崎。お礼になんかおごるよ」

「いいですよ、そんなの。これでも一応クラス委員だし。仕事ですから」

「遠慮するなって。おごるっつってもジュース一本くらいだし。そこの自販機にある奴の中で、どれがいい?」

「えー、それは結構難しい選択ですね。ここの自販機、すごく貧乏くさいし。お茶系と牛乳系しかないんだもん」

「まあ、そう言うな。自販機があるだけでも幸せだぞ。俺の母校なんてそれすらなかったんだから」

「ふーん、そうなんですか。それはまた、うちの上を行く貧乏な学校だったんですね」

「……まあな」

 光一郎が、少し寂しげな表情を見せた。

「それはともかく、どれがいい?」

「うーんと、そうですね」

 少しの間悩んでから、香奈は光一郎に目を向けた。

「じゃあ、紅茶がいいな」

 香奈の横で、光一郎が思いっきり転んだ。

 プリントの雨が大量に降り注ぐ中、二人はしばらくぼんやりと見つめ合っていた。

「……神崎。おまえ、今何て言った?」

「……えっと。『紅茶がいいな』って言いましたけど」

 光一郎が、目を床に落として小さく呟いた。

「ああ、紅茶か。そうか、紅茶ね……」

 プリントを床に下ろしてから、香奈は光一郎を見つめた。

「ねえ、先生。今、一体何が起こったんですか?」

「いや、ちょっと足を引っ掛けちまって」

「でも見たところ、この床って段差とか全然ないですけど」

「えっと、その……。ああ、自分の足に引っ掛かったんだよ」

 光一郎が、引きつった笑顔を浮かべた。

「ほら、俺って足が長いから時々絡まっちゃうんだよ。いやぁ、本当に足が長いってのは大変な事だよなー」

 光一郎が言葉を切った途端、二人の間に少しつらい沈黙が走った。

 静かに自分を見つめる香奈から目を逸らし、光一郎がプリントを拾い始めた。

「……申し訳ない。ちょっと待っててくれ」

「……お手伝いしますよ」

 しばらくの間、二人は無言で散乱したプリントをかき集めた。

 先に沈黙を破ったのは、香奈の方だった。

「あの、先生。私、前から思ってたんですけど。もしかして、何か私に言いたい事とかあるんじゃないんですか?」

 光一郎が、一瞬手を止めた。

「……神崎、今日の放課後、暇あるか?」

「ええ、まあ」

「じゃあ、五時に体育倉庫に来てくれ。話があるんだ」

「…………体育倉庫?」

 香奈は思わず眉を寄せた。光一郎が、香奈に顔を向けた。

「都合、悪いのか?」

「いえ、そういうわけじゃないですけど」

「じゃあ、頼むな」

 言葉を切って、光一郎が立ち上がった。

「よし、これで全部だ。悪かったな、神崎」

「いえ、気にしないでください」

 首を振りながらも、香奈は拾ったプリントをさりげなく自分のプリントの上に重ねた。





 学活後。難しい顔をしていた香奈は、目の前を通り過ぎようとした友人を呼び止めた。

「ねえ。ちょっと相談があるんだけど、いいかな?」

 友人が、怪訝な顔を向けた。

「なぁに、香奈?」

「あのね、実はさっき……」

 香奈は言葉を切り、ちょっと考えた後、改めて話を始めた。

「あのね、昨日見たドラマの話なんだけど、どうしても先が読めなくって。ちょっと一緒に推理してほしいんだけど、いいかなぁ?」

 友人が、香奈の前の席に腰を下ろした。

「うん、いいよ。で、どういう展開なの?」

「えっと、高校が舞台の話なんだけどね、ある時、新任の教師が赴任してくるの。で、その先生は結構かっこよくて、生徒にもてもてなのよね」

「ふむふむ。それで?」

「その先生のクラスに、どこと言って特徴のない、普通の女子生徒がいるの。で、その子が突然男性教師に呼び出されるのよ、人気のないところに。そこまでが、前回の話なんだけどね」

「へー、まあありがちだけど、ちょっとどきどきな展開ね」

 香奈は、少し身を乗り出して尋ねた。

「で、この先どうなると思う?」

「うーん、そうねぇ」

 友人が頬杖をついた。

「やっぱり、『教師と生徒の禁断の恋』って奴なんじゃないの?」

「……禁断の恋?全然好みじゃないんだけどな」

「それか、いきなり意表をついて決闘とか」

「……決闘?飛び道具使わないと、あの大男には勝てないと思うんだけど」

 友人が、じいっと香奈を見つめた。

「……ねえ、香奈。これって、ドラマの話でしょ?」

「うん、そうだよ」

「なんか、さっきから自分の事みたいに言ってない?」

 香奈は大きく首を振った。

「言ってない、言ってない」

「……そうよねぇ。香奈に限って、そんな浮いた話が出るわけないもんね」

 香奈は大きく頷いた。

「出るわけない、出るわけない」

 友人が、笑顔を浮かべて立ち上がった。

「まあ、最近のドラマって展開読めない部分が多いし、推理してても当たらないんじゃない?楽しみなのは分かるけど、とりあえず放送する日まで待ちなよ。んじゃね」

 立ち去って行く友人を見送りながら、香奈は浮かない表情を浮かべた。

「放送日は今日なんだけど……。なんか変な予感がするのよねぇ」

 小さくため息をついてから、香奈は再び展開を考え始めた。



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