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五、しばらくして、香奈が口を開いた。 「ねえ、光ちゃん」 「……なんだよ」 「夏祭り、毎年行ってる?」 「ん?まあな」 「お神輿、担いでる?」 「ああ、担いでるけど。なんでそんな事訊くんだよ?」 「ん……、いや、ちょっと色々思い出してきたから、なんとなくね」 光一郎が寝返りをうって、香奈に体を向けた。 「おまえ、神輿に興味あるのか?あの日も、神輿を見るために社務所に入って来たんだろう?」 「うん、まあね」 「担ぎたかったのか?神輿」 「そういう訳じゃないんだけど」 膝を抱えながら、香奈は頭をかいた。 「ねえ、光ちゃん。うちにいたじいちゃん、覚えてる?」 「ああ、あの職人だったじいさんか。元気な人だったよな。俺、何度か怒鳴られた事あるぞ。でも、おまえんちが引っ越す前に亡くなったんだよな」 「うん。まあ正確には、じいちゃんが亡くなったから引っ越したんだけどね。あの家って古いけど大きかったでしょ。だから相続税とか色々大変だったみたい。で、今住んでる家を買ったの。当時はまだ、都内を離れたら土地代が格段に安かったんだって」 「へー、おまえんちも色々大変だったんだなぁ」 「うん、まあね」 香奈は曖昧に笑ってみせた。 「でね、あのお神輿って、実はじいちゃんが作ったらしいんだよね」 驚いたように、光一郎が体を起こした。 「そうだったのか?」 「そうだったの。もちろん、じいちゃんが一人で作ったわけじゃないけどね、でも、じいちゃんが中心になって、設計図から引いていったものなんだって。私、小さい頃からずっとその話を聞いてたの。それで、あのお神輿見るのがすごく楽しみだったんだ」 香奈は、懐かしそうに笑顔を浮かべた。 「毎年、私とじいちゃんは二人っきりで夏祭りに行ってたの。露店で買ってもらった綿菓子を片手に持って、もう片方の手をじいちゃんに握ってもらって、ぶらぶらと社務所に向かうのね。で、社務所から出されるお神輿を並んで見てた。じいちゃん、いっつもすごく嬉しそうな顔でお神輿を見てたんだ。それでね、毎年必ず言うセリフがあったの」 光一郎がその場に座り直した。 「じいさん、なんて言ってたんだ?」 「『ああ、今年も元気そうだ。今年もいい顔してやがる』って」 「……あの人らしいセリフだな」 「うん、そうだね」 頷きながら、香奈は立てた膝の上に顔を乗せた。 「私ね、お神輿を見るのも、お神輿を見てるじいちゃんを見るのも大好きだったの。私ってまだ本当に小さかったから、毎年思ってたんだ。また来年もここに来るんだって。じいちゃんと手を繋いで、ここでお神輿を見るんだって。でも、そんな事ってあり得ないんだよね。あの年、じいちゃんは夏を迎える前に亡くなった。私ね、じいちゃんが亡くなったって事をしばらく理解出来なかったの」 「……おまえ、まだ小さかったからな」 「うん。でもね、夏祭りの前の夜、いきなり分かったの。じいちゃん、いなくなっちゃったんだなぁって」 「どうしてだ?」 「えっとね。あの日、家の中には引越しの荷物が溢れてたんだ。で、『明日、引っ越すんだなぁ』ってぼんやり思って、『そういえば明日は夏祭りの日だぁ』って思って、『夏祭りの日は、じいちゃんとお神輿見に行くんだぁ』って思って。で、じいちゃんがいないって事、やっと理解出来たの。もう、じいちゃんはいないんだ、一緒に夏祭りに行く事はないんだ。だって、じいちゃんはもう、亡くなったんだから」 香奈は小さく鼻をすすった。 「『明日は朝からトラックに乗るからね』って母親に言われて、私、家を抜け出したの。一目だけでもお神輿を見ておきたくて。で、家を出たところで、光ちゃんの背中が見えたの」 「それで、ついて来たのか」 「うん。街灯があったから、そんなに暗い道じゃなかったけど、でも一人で歩くのは心細かったの。だから光ちゃんから離れられなくて、気がついたら社務所に来てたって訳」 「そうか……」 光一郎が、香奈にハンカチを差し出した。 「ほれ。これ使え」 「……泣いてないもん」 「目、うるうるしてるぞ」 「私は元々潤んだ瞳なの」 「あほ言ってないで、大人しく受け取れ」 香奈の膝の上にハンカチを乗せて、光一郎が笑顔を浮かべた。 「おまえのじいさんは、本当にかっこいい人だったよな。あの人は、日常のいろんなものを遊びとして見る事の出来る人だったよ。今考えると、俺もよく遊ばれちゃってたんだよな」 ハンカチを握り締めながら、香奈は光一郎を見上げた。 「そうなの?」 「ああ。じいさんってめちゃくちゃ恐い顔してて、しょっちゅう俺みたいな近所の子供達を怒鳴ってたんだよな。だけど結構俺達をからかって楽しんでる部分もあったんだよ。例えば夏、おまえんちの庭にものすごく雑草が茂ってるような時、じいさんは罠を張るんだよ」 「罠って、どんな?」 「うん、まずは玄関口に縁台を出して、うまそうなスイカを並べておくんだ。喉からからで遊んでる俺達は、どうしてもその前を通過出来なくて取って食べちゃうんだよな」 「うーん、まあ、子供だったらやっちゃうかもね」 「で、俺達があらかた食い散らかしたところで、じいさんが現れて怒鳴るんだ。『こら!おまえら、ただでスイカを食えると思うんじゃねぇぞ!』。で、罰として庭の草むしりを命じられるんだ。でもな、今にして思うと、あれってどう考えてもじいさんが張ったトラップなんだよ。玄関口にスイカを置いておく理由がないもんな。だから、たぶんじいさんはゲーム感覚で俺達と付き合ってたと思うんだよ。まあ、結局は引退後の暇つぶしだろうけどな」 思わず、香奈は複雑な表情を浮かべた。 「……じいちゃんったら、あこぎな事してたのね」 光一郎が小さく笑った。 「でも、いいところもあったぞ。そうやって俺達に仕事をさせたあとは、必ずアイスとかお菓子とかをめちゃくちゃ食べさせてくれたしな」 「だったら、最初からスイカとアイスを見せて仕事してもらえばいいのにね」 「それじゃ、つまらないと思ったんじゃないの?それに、それだと俺達も手を抜いたかも知れないし。『罰として』って事だから、真剣に草をむしった訳だしさ。おまえのじいさんは、そういう風に生活のどこかに空気穴開けて楽しむ事が出来る人だったんだよ」 香奈は、首をかしげて呟いた。 「……そっかぁ。じゃあ、あれも空気穴だったのかなー」 「ん、あれって?」 「あのね。私、じいちゃんに一つだけ騙されてた事があるの」 「騙されてた?」 「うん。えっとね、私にトイレの仕方を教えてくれたのは、じいちゃんなのね。で、オムツを外す時からずーっと、じいちゃんが私に必ずやらせてた事があるの」 光一郎が、香奈をじっと見つめた。 「……トイレでか。おまえ、何やってたんだ?」 「三回まわってワン」 真剣な顔で、香奈は答えた。 「それをしないとトイレの神様が怒るって教えられたの。だから私、どんなに我慢の限界に近くても絶対にやってたんだよ。毎日ものすごく大変だったし、すごく緊張してトイレに行ってたんだよね」 香奈から目を逸らし、光一郎が静かな声で尋ねた。 「……ちなみに、いくつまでそれ、やってたんだ」 「小学校三年生まで。ある日、学校のトイレで『ワン!』って声を友達に聞かれちゃったの。それで初めて嘘だったって分かったんだよね」 光一郎の声が、少し震えを帯びてきた。 「……そうか、そんなに長く信じてたのか、おまえって奴は」 香奈は、きりっと光一郎を睨み付けた。 「ちょっと、光ちゃん。もしかして笑ってない?」 光一郎が俯いて、肩を震わせ始めた。 「……いや、笑ってないよ」 「嘘だぁ。笑ってるでしょ。ちょっと、顔見せなさい」 香奈は光一郎の顔を両手で挟み込んで持ち上げた。香奈と目があった途端、光一郎がマットの上にひっくり返り、笑い始めた。 「うわっはっはっはっはっは!」 むっとした顔で、香奈は光一郎の頭を引っ叩いた。 「……最低、この人。本当に大変だったんだからね」 「…………いや、おまえの苦労も分かるんだけどな。……ちょっと想像すると、……おまえの真剣な顔とか、じいさんが笑っちまってる姿とか浮かんできて……」 しばらくして、光一郎が肩で息をしながら起き上がった。 「……すまん。俺が悪かった。もう笑わないから」 香奈はそっぽを向いて答えた。 「もういい。あなたという人がよーく分かったから。もう、あなたには何も望まないし、求めません」 「まあまあ、そう言わないで」 取り成すように言ってから、光一郎が話を変えた。 「そういえばおまえ、すごいじいちゃんっ子だったよな。いっつもじいさんのあとを付いて歩いてたし」 「……うん、まあね」 答えてから、香奈は気を取り直したように話し始めた。 「うちって両親が共稼ぎだったでしょ。だからほとんど毎日じいちゃんと二人きりだったんだもん。でも時々じいちゃんにも用があるって日があって、そういう時は光ちゃんのところに遊びに行ってたんだ。一人でいるの、寂しくて」 「へー、ようするに俺は補欠って事か」 すかさず、香奈は光一郎の顔を覗き込んだ。 「あれー?光ちゃんったら、レギュラーの方がよかったの?」 表情を変える事なく、光一郎が答えた。 「馬鹿言うな。時々遊んでやるだけでも大変だったんだぞ」 「またまたぁ。可愛い私になつかれて、結構嬉しかったんじゃないの?」 「嬉しかねぇって」 「そう?でも、光ちゃんってなんか年下に弱そうだよ。あ、よかったら他校にいる友達、紹介してあげようか?」 「……おまえね」 にやにやしている香奈に、光一郎が顔を向けた。 「そういう生意気な事ばかり言ってると、いくら穏やかな俺でも怒っちゃうよ」 「いいよ、別に。光ちゃんが怒っても全然迫力ないんだもん」 「甘いな。あの頃の俺とはもう違うんだ。もし、今の俺が怒ったら」 「……怒ったら?」 香奈の目をじっと見つめて、光一郎が熱く囁いた。 「迫る。しかも、大人の迫り方で」 二人は、そのまましばらく見つめ合った。 ふと、香奈が光一郎から目を逸らし、腰の下にあるマットをさすった。 「いやぁ、このマット、いい素材使ってるねー。やっぱり高飛びのマットは、このごわごわ感が大事だよねー」 「……勝った」 小さくガッツポーズを決めつつ、光一郎が呟いた。 |
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