P | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | E |
六、風が吹き付け、倉庫のドアががたがたと音を立てた。ドアからもれてくる風に煽られ、キャンドルの炎が大きく揺れた。 立ち上がって、香奈はキャンドルの炎を両手で包み込んだ。 「やだー、大丈夫かなぁ。火が消えちゃったらまた光ちゃんに抱きつくはめになるじゃない。いい迷惑だよ、もう」 「……おい、人の胸を借りておいて、そりゃあんまりじゃないか?」 光一郎が、香奈に顔を向けた。 「だけどおまえ、どうして暗くなると誰かに抱きつくんだ。側にいる奴がどんな奴でもそうなのか?」 「うん、どんな奴でもそうなの。だから修学旅行なんかで外泊する時はもう、どきどきものだったんだよ」 「ああ、そりゃいかにも大変そうだな。色々失敗したんじゃないのか?」 「したした。山ほどしたよ」 しみじみと、香奈は頷いて見せた。 「小学校の時は、蒲団の中に懐中電灯を持ち込んだのね。でも途中で電池が切れちゃって、隣で寝てた子に抱きついちゃったの。で、しばらくレズ扱いされたのよね」 「ほう、なかなかやるなぁ。じゃあ、中学校の時は?」 「電池を一〇本持ち込んで万全の体制で臨んだのに、見回りに来た男の先生に見つかっちゃったの。で、夜更かしして遊んでるって思い込まれて『今すぐ消しなさい』って目の前で迫るのね。覚悟を決めて懐中電灯を消したらやっぱり恐くなっちゃって、その先生に抱きついて離れなかったの。んで、しばらくの間『特攻隊』ってあだ名で呼ばれるし、その先生とはなんだか気まずくなるし」 「そりゃ大変だったな」 光一郎が頭をかいた。 「だけど、どうして抱きつくと落ち着くんだろうな」 何かを考えるように、香奈はキャンドルの炎を見つめた。 「うーんとね、たぶん、原因はじいちゃんにあると思うんだ」 「じいさんに?どういう意味だ?」 「えっとね。私って、ある日突然暗いところを恐がるようになったんだって。それまでは一人でも平気だったのに、寝かしつけてくれるじいちゃんの手を離さなくなったらしくって。で、困り果てたじいちゃんは、毎晩私がぐっすり眠るまでずっと抱き抱えてくれてたの。そうしてると、私は安心してすぐに寝付いたらしいのね。たぶん、そのせいじゃないかな」 「ふーん、なるほど。でも、どうしていきなり暗いところが恐くなったんだろうな。なんか心当たりはないのか?」 マットに戻ってから、香奈はため息をついた。 「それが、全然覚えてないんだー。でもね、今はただただ恐いだけなんだけど、もっと小さい頃は具体的な何かを恐がっていたような気がするの。その何かが段々記憶から薄れて今があるって感じ。なんかトラウマでもあったのかな?」 「……おい、その『何か』がもっとも重要なんじゃないのか?」 真剣な表情で、光一郎が香奈を見つめた。 「どうしておまえは、そういう核の部分を忘れられるんだよ」 頭をかきながら、香奈はけらけらと笑い出した。 「ねー。本当に私ってのんきな奴。我ながらやんなっちゃうよー」 「……ま、そのうち思い出すだろう」 光一郎が、そっとため息をついた。 「トラウマが分かれば治しようがあるかも知れない。あんまり気にするな」 「うん、ありがとう。大丈夫、そんなに気にしてないから」 答えながら、香奈は光一郎に笑顔を向けた。 二人の間に、少しの沈黙が走った。 「なあ、話は変わるけどさ」 光一郎が、おもむろに香奈に顔を向けた。 「おまえ、好きな奴とかも全然いないのか?」 「なぁに、また恋話?もういいじゃない、それは」 「まあまあ。こういう話は格好の暇つぶしになるんだよ。で、いないのか?」 香奈はこっくりと頷いた。 「うん、いないよ。女子校だから特に出会いもないしね」 「じゃあ、例えばな。通学途中の電車の中に好みの奴、いないのか?」 「そんな人、探してる暇ないよ。すっごいラッシュにもまれてるんだもん」 「うーん、そうか。じゃあ、中学生の時好きだったけど卒業って事でうやむやになってた、なんて奴をもう一回好きになってみるとか」 首をかしげて、香奈は呟いた。 「あれー?そういえば私、中学生の時、誰を好きだったんだっけ。もうすっかり忘れちゃったなぁ」 「……香奈、人生の先輩として言っておく」 光一郎が、香奈の肩に手を置いた。 「もっと積極的に人を好きになった方がいいぞ。大人になった時に困るから」 「どうして困るのよ」 「恋愛なんてものは、経験積んでる奴が断然有利なんだ。言い寄るにしても、言い寄られるにしても、より修行を積んだレベルの高い奴が主導権を握れるんだよ」 肩に置かれた光一郎の手を、香奈はぱしっと払い落とした。 「さすが、達人のおっしゃる事は奥が深いですこと。でも、せっかくのお言葉ですけど聞かなかった事にしておきます」 「なんでだよ」 「私、そういう『駆け引き』みたいなの、嫌いだから」 「俺だって別に好きじゃないけどさ。でも、そういうのは避けられないと思うぞ」 「……そうかも知れないけど、私は嫌なの」 ため息をつきながら、香奈はそっと膝を抱えた。 「私は、まだ真剣に人を好きになった事ってないのね。だから子供っぽいって言われるかも知れないけど。でも、私はそういうのって違うと思うんだ」 「違うって、何が?」 「『運命の出会い』とか『赤い糸』とか、そういうのを信じてるわけじゃないけど。でも恋愛ってもっと純粋なものだと思うの。例えば、毎日の生活に浸っていた思いが突然浮かび上がってくるような。例えば、駆け引きなんかしてる暇ないくらい、圧倒的な思いを抱くような。私は、そんな恋愛がしたいの。だから無理やり誰かと付き合ったりするんじゃなくて、毎日の生活の中で、大切な人を見つけたいの」 しみじみとした表情で、光一郎が香奈を見つめた。 「香奈。おまえ、純粋に育ったなぁ」 「……ふーんだ。どうせ子供だって言いたいんでしょ?」 「いや、そんな事言わないよ。なんか俺、ものすごく懐かしい感動を受けたような気がする」 笑顔を浮かべて、光一郎が香奈の頭に手を置いた。 「うん、おまえは本当に、純粋できれいな子に育ったな。きっとおまえが正しいんだよ。だから、ずっとそのままでいろよ」 「……うん」 少し赤くなった香奈の横で、光一郎が腕を組んだ。 「うーん、だけどそうなると、香奈が好きになれる可能性がある奴はぐっと少なくなる訳だ。とりあえず、女子校にいる三年間は新しい出会いがないって事だもんな」 「いいもん、別に。大学に行ったら、バイトとかサークル入るから」 「まあ、それはそれとして、片思いくらいしてみるってのはどうだ?毎日の生活に張りが出るし、高校時代の大きな思い出になると思うぞ」 「何よ、光ちゃんは私にレズれって言いたいの?」 「いや、そうじゃなくて。一応、今でも身近に何人かの男がいるだろう。しかもたった今、目の前にこんなにいい男がいるわけだし」 光一郎をじっと見つめながら、香奈は尋ねた。 「ねえ、光ちゃん。まさか自分の事言ってるの?」 光一郎が、香奈に爽やかな笑顔を向けた。 「さあ、君もこの際、俺のファンになろうじゃないか!」 香奈はすばやく光一郎の額に手を伸ばした。 「あ、光ちゃん、カメムシが!」 「もうその手は通じないぞ!」 光一郎がするどく香奈の手を受け止めた。 「ふふふ……。おまえの手口はもうお見通しだ!」 つかまれた自分の手を眺めながら、香奈は小さく呟いた。 「……手、離してよ」 「駄目。おまえはすぐ殴ろうとするから。しばらくこのまま反省しろ」 俯きながら、香奈は小さく声を震わせた。 「……ごめんなさい、もうしないから。だから、離して」 「ん……?」 光一郎が香奈の顔を覗き込んだ。 「おまえ、泣いてるのか?」 「……本当にごめんね、光ちゃん」 「あ、いや。そんなに深刻になるなよ。俺だっておまえをからかったりしたわけだし。だから泣くなよ」 慌てた様子で、光一郎が手を離した。 その瞬間に、香奈は光一郎の額を引っ叩いた。 「痛っ!」 「ふん、この程度で泣くわけないじゃない」 にやりと、香奈はニヒルな笑みを浮かべた。 「こんな手にひっかかるなんて、光ちゃんも結構純粋に育った方なんじゃないの?」 「…………おまえって奴はぁ」 額をさすりながら、光一郎がまたもやふてくされたようにマットにひっくり返った。 「もういい。やっぱり俺は寝る!」 そして、再び二人の間に沈黙が走った。 |
P | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | E |