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五、柚香 一一時三〇分 柚香は、ナイフを持った男に声を掛けた。 「あなた、名前は何て言うの?」 「……」 「私は白井柚香っていうの」 「……」 「ねえ、人が名乗ってるんだから返事くらいしたらどうかな」 「……」 「……まあ、いいけど。年は、もうすぐ二七歳」 「……意外と歳くってるな」 「何よ、失礼ね。そういうあなたは幾つなの?」 「二一」 「ふーん。随分若いのね。それで、名前は?都合が悪いなら下の名前だけでもいいから」 「……雄也」 「へー、いい名前ね。ねえ、雄也君。この子をベッドに寝かせてもいいかな。このままだと風邪ひいちゃう」 柚香は、腕に抱えている瑞穂を示した。 瑞穂はいつの間にか、柚香の腕の中で規則正しい寝息を立てていた。頬に涙の跡が見える。 「ああ」 「ありがとう」 持ち上げた瑞穂を、柚香は近くにあるディスプレイのベッドに横たえた。三人は、中西が推理した場所に座っていた。 さりげなく、柚香は雄也の様子を観察した。 ここにいる理由はなんだろう。やはり強盗だろうか。 しかし、まったくレジを触ろうとしない。それに、強盗ならばここにいる理由がない。金を奪って逃げればいいだけだ。 それなのに立てこもっている所を見ると、金目当てではないと見ていいだろう。 一番気になるのは手だ。 ナイフの側面と手の平に、薄くこびりついた血が見える。 雄也の血ではないだろう。ケガを痛がっている様子がない。 だとすると、考えられるのは一つ。誰かを刺したのだ。 では、何故ここに逃げ込んだのだろうか。 恐らく、この店を選んだのは偶然だろう。 特に立てこもりに都合がいい点もない。もっと狭い場所を選んだ方が見張りやすいだろう。 だとすると、計画的な犯行ではないのかも知れない。 突発的に誰かを刺し、何者かに追われてこの店に逃げ込んだ。 裏口は狭い路地の行き止まりにある。十分あり得る話だ。 では、雄也を追うのは誰だろうか。 単純に考えれば、警察だろう。 犯行を誰かに見られたか、刺された本人が通報したか。 しかし、それにしては外が静かだ。 それに、隆司も警察に連絡したはずだ。だがその様子も感じれない。 それとも、もう外にはたくさんの警察がいるのだろうか。様子を伺っているのかも知れない。 雄也が追われていたかはまだ不明だ。 もし外に警察がいるとしたら、隆司が呼んだ警察である可能性が高い。そうなると、雄也がここにいる理由が分からないだろう。 こちらの様子を知らせる手はないだろうか。 柚香は、ジーンズのポケットにある携帯電話をそっと確認した。 これしか手がない。隙をみて外部に連絡しよう。 だが、今は無理だ。 雄也は目の前にいて、動く様子がない。 今出来る事は一つしかない。柚香は心を決めた。 ベッドの中の瑞穂が、枕に顔をすり寄せた。 柚香の顔に、久しぶりの笑顔が浮かんだ。 「……なあ。あんた、俺が恐くないのか?」 雄也の声に、柚香は振り返った。 「恐いに決まってるでしょう。ナイフ持って乱入してきた男が目の前にいるんだから」 「その割には余裕があるな」 「強がってるだけだよ。私、相当負けず嫌いなの」 「……ふーん」 柚香は、雄也にまっすぐ体を向けた。 「ねえ、雄也君。お互いの身の上話、してみない?」 「何で」 「いいじゃない、退屈だし。ね?」 「……話したければ勝手にしろ」 「私だけ話すのは嫌だ。雄也君は次ね」 「気が向いたらな」 「よし。では」 一回咳払いをしてから、柚香は話し出した。 「私は、短大を卒業してからずっとこの店で働いてるの。もともとここでバイトしてて、そのままフリーターになったってわけ。短大では、経済学部だった。サークルはテニス。楽しかったな。もう、七年も前の話だけどね」 言葉を切ってから、柚香は雄也に笑顔を向けた。 「じゃあ、今度は雄也君の番」 「話したくない」 「そんなのずるいよ。人の話聞いておいて自分は話さないなんて」 「……何を話せばいいか分からない」 「分かった。じゃ、私が質問するね。雄也君はそれに答えてくれればいいから」 「……ああ」 「ありがとう、では行きます」 柚香は、再び咳払いをした。 「雄也君は働いてるの?それとも学生?」 「大学に行ってる」 「ふむふむ。学校の生活はあとで聞くとして、何かバイトしてるの?」 「コンビニ」 「ふーん。若い子が多そうだね。みんな仲いいの?」 「普通」 「普通、ね。なるほど。ここの店長は優しいからすごく助かってるんだけど、雄也君の店の店長さんはどう?不満とかない?」 「別に」 「不満はない、と。ふーん。なかなかいい感じだね。学校のあとに働いてるの?」 「ああ」 「じゃあ、帰りって遅いよね。家族がうるさく言わない?」 「別に」 「ふーん。羨ましいなぁ。遅い時間のバイトだと時給が全然違うもんね」 一旦言葉を切ってから、柚香は話を続けた。 「じゃあ、次の質問。大学の学部は何?」 「経済学部」 「あ、じゃあ私と同じだね。私達、意外と仲よくなれるかもよ」 「……」 「あ、しらじらしかった?」 「ああ」 「失礼しました。じゃあ、次。大学でサークル入ってる?」 「……テニス」 「あ、すごい。やっぱり私達、気が合うのかもよ。運命の出会いだったりして」 「……」 目を逸らしていた雄也が、初めて柚香に顔を向けた。 六つも年下の雄也は、やはり少し幼く見えた。 「悪いけど、年上は好みじゃない」 「……あ、そう。まあ、私みたいなのと違って雄也君はもてるんだろうね。結構かっこいいし」 柚香は、頭をかいて苦笑いした。 「彼女とかいるんでしょ?」 「……」 「あ、もしかして、意外と彼女いない暦長かったりする?」 「……言いたくない」 「……そっか、ごめん。じゃあ、他の事訊くね。テニスでは、ダブルスだった?それともシングル?私はシングルだったよ」 「ダブルス」 「あらら。ここで違っちゃったね。私、人と一緒にコートに入ると駄目なのよね。変に気を使ってミスを連発して、相手に見捨てられるの。私って才能ないのかな」 「相手にもよるだろ」 「……そっかぁ。確かに、とっても息がぴったりって感じじゃなかったな。じゃあ、雄也君はいい相手にめぐり会えたんだ。今でも仲いいの?」 「……」 「あれ、雄也君?」 「……もう、話するの飽きた」 「……分かった。ごめんね」 目を逸らした柚香は、素直に口をつぐんだ。 もう、十分だった。 柚香は、雄也の動機を探っていた。誰を刺したのか、何故刺したのか。それが分かれば、突破口が広がるかも知れない。 雄也の話によると、アルバイト先の悩みではないようだ。悪い人間関係ではないらしい。 家族の悩みでもないだろう。口うるさい親ではないようだ。 キーポイントは二つある。 その二つを訊いた時、明らかに態度が変わった。何か引っ掛かる事があるのだろう。 この立てこもりに関係があるのか、それは分からない。いや、そもそも今までの考えは全部想像だ。辿り着いた結論が真実だという保証はどこにもない。 駄目だ。 心の中で、柚香は大きく首を振った。 そんな事を言っていたら何も出来ない。いつまでもここにいるわけにはいかないのだ。 雄也のナイフに対抗する柚香の武器。 それは、話をする口と、推理をする頭。それだけなのだ。 雄也はそんなに悪人に見えない。質問にも答えてくれた。 だが、何かをしでかした事は確かだ。だからここにいるのだ。 柚香は唇を噛んだ。 ここから出る方法は三つしかない。 逃げ出すか、外部から助けてもらうか。 あとは、雄也の自首。 柚香はベッドを振り返った。 瑞穂のあどけない寝顔が見える。 逃げるのは、リスクが大きすぎる。突入されたとしても、状況によっては瑞穂を守りきれるか自信がない。 やはり、自首させるしかない。 柚香は心を決めた。 *** Back *** HomeTop *** NovelTop *** Next *** |