***  Back *** HomeTop *** NovelTop *** Next ***



一〇、柚香 一二時三〇分




「私、康介君と同じ立場にいた事があるの」

 柚香は、静かに話を始めた。

「短大二年の時だった。私には、恭子っていう大事な友達がいたの。テニスのサークルで知り合ってダブルス組んだんだ。息もぴったりで結構強かったんだよ。毎日恭子に会うのがすごく楽しみだった。私ね、高校卒業する時に彼氏に振られたの。でも、恭子といる事でその傷を忘れられた。恋人がいなくても、大切な友達がいるだけで私は幸せだったの」

 懐かしむように、柚香は話を続けた。

「恭子はね、同じサークルの順一君の事が好きだったんだ。私、随分前からその事を聞いてたの。自分でもすごく不思議なんだけど、恭子の好きな人だと知ったとたんに、私の中で順一君は恋愛の対象にならなくなった」

 雄也が、真剣な表情で話を聞いていた。

「それなのに、私はある日順一君に『好きだ』って言われたの。でもすぐに断った。だって、私が順一君を好きになる事はあり得なかったんだもん。その時、順一君は一応納得してくれた」

 ふいに、柚香は自分の胸を両手で押さえた。まるで、そこに大きな傷があるように。

「しばらくして、恭子と私は大会に出る事になったの。『絶対に勝とうね』って約束したんだよ。同じ目標に向けて練習するうちに、私達はどんどん仲良くなっていった。でも、大会の直前に恭子が『順一君に告白する』って言い出したの。私、本当の事を恭子に言おうかどうかすごく迷った。でも」

 言葉を切って、柚香は皮肉な表情で笑った。

「言えるわけないよね。『順一君は私の事が好きなんだよ』なんて」

 雄也がふと目を上げた。しかし、何も言わないまま再びそっと目を伏せた。

「それに、私は都合のいい希望も持ってた。もしかしたら、順一君が恭子を受け入れてくれるかも知れないって。もしそうなったら、何もかもうまく行く。順一君が私を好きだったって事は、過去の笑い話に出来るんだよ。だから、私は黙って恭子を見送った。次の日に恭子と会うまで、私はずっと不安な気持ちを抱えてた」

 雄也が、小さく口を挟んだ。

「次の日、恭子さんはあんたに何か言ってきたのか?」

「結果から言うね。私と恭子は、その日から友達じゃなくなった」

 感情を押さえた声で、柚香は答えた。

「恭子は泣きながらこう言ったの。『君が俺を好きなせいで、俺は振られたって言われた。告白されたんでしょ?何で言ってくれなかったの?』って。私は何も答えられなかった。確かに、私は順一君の気持ちを恭子に伝えておくべきだったかも知れない。でも、それを私に言えっていうのはすごく酷な事だと思わない?」

「だけどあんたが順一さんの気持ちを伝えていたら、恭子さんはわざわざ振られに行くよう事をしないで済んだんだ」

「それは認めるよ。でもね、順一君の気持ちを恭子に伝えるって事は、自分の手で恭子との友情を終わらせる事と同じなんだよ。自分の気持ちを思い出してよ、雄也君。あなたは里実さんが康介君のことを好きだった事で、康介君を憎んだでしょう?」

「それは違う。俺が康介を憎んでいるのは、康介が俺達にひどい事をしたからだ」

「そんなのこじつけだよ。里実さんの気持ちに気がついた時点で、あなたは康介君をよく思わなかったはずだよ。友達のままでいられたとしても、絶対に気まずくなってたよ。ねえ、何度も言うけど、里実さんが康介君のことを好きなのは康介君のせいじゃないんだよ。それなのに、康介君はどうして刺されなきゃいけなかったの?」

 雄也が、さりげなく目を逸らした。

「……今はあんたの話をしてるんだろう」

「……そうだったね。じゃあ、私の話を続けるね」

 呼吸を整えてから、柚香は話を続けた。

「それ以来、恭子はどんなに誘っても練習に来なくなった。だけど、私はずっと恭子を信じてたんだ。恭子との仲が、そんなに簡単に壊れるなんて思いたくなかった。だから大会の日も会場で恭子を待ったの。絶対に来ると思ってた。……でも、恭子は来なかった」

 一瞬言葉を切って、柚香は瞬きを繰り返した。

「次の日に理由を訊いてみた。そしたらあっさり言われた。『行くわけないじゃない。あんたと私はもう他人なんだから』ってね。すごく哀しかったな。女の友情なんて結局こんなものかなって思っちゃった。でも雄也君を見ると、男の友情も似たようなものかもね」

 黙ったままで、雄也は柚香のきつい言葉を聞き流した。

「順一君に振られた後、恭子は私の事を悪く言いふらしてたの。それで、他の友達もいなくなっちゃった。でも、短大生にもなっていじめにあったって笑っちゃうだけだよ。毎日一人で講義を受けて、さっさと家に帰ってた。でもサークルは続けたの。辞めるのが、すごく悔しかったから」

 そっとため息をつきながら、柚香は膝を抱えた。

「パートナーを替えてみた。だけど全然駄目だった。どうしても相手に余計な気を使っちゃうの。恭子の時はそんな事なかったのに。よっぽどあの頃の恭子と気が合ってたのか、それとも私の中で何かが変わっちゃったのか。それで、シングルに転向したの」

 柚香は、抱え込んだ膝に目を落とした。

「そんな風に面白くもない毎日を過ごしてるうちに、いつの間にか私は誰かを好きになるのが嫌になってた。好きになってもらうのも嫌。男の子の友達はたくさんいるんだよ。だけどそれだけ。誰かを特別に好きになったりはしなかった」

 ふっと苦い笑顔を浮かべてから、柚香は話を続けた。

「当然、私は頭に来てた。それこそ誰かを憎みたかったよ。だからまず、順一君を憎もうとした。だって、彼が私を好きにならなければこんな事にならなかったんだもん。だけど」

 一瞬、柚香は言葉をつまらせた。

「……憎めなかった。だって順一君は悪くないんだもん。人を好きになる事はとても自然な気持ちでしょう。その気持ちを責める事は誰にも出来ない。それで、次に恭子を憎もうとした。でも、やっぱり駄目だった。だって恭子は振られちゃったんだもん。好きな人への思いが届かないって経験は私にもある。すごく苦しいよね。だから、恭子が私を嫌いになって嫌がらせするのも分からなくはない」

 言葉を切って、柚香は雄也に顔を向けた。二人の視線が、まっすぐにぶつかった。

「それで私は思ったの。じゃあ、誰が悪いのって。順一君は悪くない。恭子も悪くない。私はもちろん悪くない。誰が何と言ったって、私は悪くない。結局、誰も残らない。だから誰も悪くないの。私は、誰の事も憎まない」

 先に目を逸らしたのは、雄也の方だった。

「……あんたと康介は違う。相手に対して全然別の態度を取ったじゃないか」

「ううん、私と康介君は同じだよ。私はただ、告白されるまで順一君の気持ちに気がつかなかっただけ。もし私が順一君の気持ちを知っていたら。もしかしたら、康介君と同じ事をしていたかも知れない」

「『恭子と付き合え』って言うのか?」

「悩んだ揚句に言ったかもね。でも、どっちにしても結果は変わらないけど。だって結局、私も康介君も相手に憎まれたんだもん」

「それは……」

 雄也が口ごもった。

「さっき雄也君は『里実の事が好きじゃないならただ振ればいい』って言ったよね。でも、その通りにした私だって恭子に憎まれたんだよ。同じなんだよ。この問題は、どの道を通っても結局同じところに辿り着いてしまうの」

 俯いたまま、雄也が繰り返した。

「……同じところ?」

「そう、どうしても同じところに行ってしまうの。だから、康介君は悪くない。里実さんが康介君を好きになって、雄也君が里実さんを好きになった。その時点で、誰かが傷つかずには終わらなかったの」

 雄也の様子を見つめながら、柚香は静かに言葉を続けた。

「ねえ、雄也君。人を好きになるって事はすごく素敵な事だよね。目が合ったとか、話が出来たとか。そんなちょっとした事で楽しい気持ちになれるんだもん。だけど、同じくらい苦しい事もあるんだよ。思いが届かない事もある。傷ついたりする事もある。その一つ一つの経験がとても大事なんだよね。だから……、だからね」

 雄也をまっすぐに見つめながら、柚香は静かに言葉を結んだ。

「傷つく事を恐がる人には、人を好きになる資格がないの。傷ついて人を憎むような人も同じ。そんな人に、人を好きになる資格はない」

 ぼんやりとした声で、雄也が小さく呟いた。

「人を、好きになる資格がない……」





 あと少しだ。

 俯いた雄也を見ながら、柚香は思った。

 雄也は間違っている。康介を刺したことはもちろん、憎んだ事も間違っている。

 雄也は今、その事実を認めつつある。雄也が心の底から自分の罪を認めれば。その時、柚香達は解放される。

 あと少しだ。

 柚香はそっと、唇を噛みしめた。



***  Back *** HomeTop *** NovelTop *** Next ***





女の子お絵かき掲示板ナスカiPhone修理