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記憶を超えた、ある事実


三、

 食べ終えた三人は、大きく息をついた。
「ああ、美味しかった。どうもご馳走様でした」
 立ち上がった竹田が、香奈と光一郎の皿を自分の皿に重ねた。
「あ、いいですよ。俺がやりますから」
 中腰になった光一郎を見て、香奈は慌てて立ち上がった。
「あ、私、手伝います」
「いいのよ、二人共座ってて。このくらい、ささっとやっちゃうから」
 笑顔で答えた竹田が、シンクに向かって歩いて行った。
 座り直しながら、光一郎がその背中に声を掛けた。
「すみません。じゃ、お言葉に甘えます」
 タイミングを失って、香奈は座るのを忘れていた。ぼんやりと立ったままでいる香奈に、光一郎が目を向けた。
「まあ、座れよ」
「……うん」
 ぺたんと座り込んで、香奈は思わず肩を落とした。そんな香奈の頭に手を置いて、光一郎が顔を覗き込んだ。
「なあ、どうした?もしかしてカレー、美味くなかったか?」
「……ううん。すごく美味しかったよ」
「じゃ、何でそんなに元気ないんだよ」
「……別に、元気なくないよ」
「嘘つけ」
 香奈の頭を押さえながら、光一郎がにやりと笑った。
「だっておまえ、一杯しか食べなかっただろ。本調子のおまえだったら、五杯は行ってたな。いや、八杯くらいか?」
 光一郎の笑いを含んだ声に何故かいらついて、香奈は勢いよく顔を上げた。
「私、そんなに食べないよ。いい加減な事ばっかり言わないで!」
「……あ、悪い。冗談、だったんだけど」
 戸惑った表情の光一郎を見て、香奈は再びうつむいた。
「……それは、分かってるけど」
 そのまま、二人は気まずく黙り込んだ。
 しばらくして、ハンカチで手を拭きながら竹田が戻って来た。
「ふー。この時期は水仕事が楽でいいわね」
 そのまま元の場所に座った竹田が、黙ったままの二人の様子に気がつき、不審げな眼差しを向けた。
「……ちょっと。何なの、この重たい雰囲気は?」
 頭をかきながら、光一郎が答えた。
「いや、あの。……別に何でもないんです」
「……そう?ならいいんだけど」
 言葉を切った竹田が、うつむいたままの香奈を横目で見ながら麦茶を一口飲んだ。
 居たたまれなくなって、香奈は立ち上がった。
「あの、近くにコンビニありましたよね。私、お菓子とか買って来ます」
「ああ、いいよ。俺が行くから」
 光一郎が立ち上がり、香奈の肩を抑えた。
「いいんです。すぐそこだし、私が行きます」
「いや、いいって。おまえはお客さんなんだから」
 足早にドアに向かった光一郎が、一瞬振り返って竹田に目を向けた。
「じゃ、竹田先生。あと頼みます」
「え、あ……、うん」
 竹田が頷くのを確認してから、光一郎がドアを閉めた。
 またもタイミングを失って立ち尽くす香奈に、竹田が声を掛けた。
「ま、座ったら?」
「……はい」
 素直に頷いて、香奈は腰を下ろした。
 こほんと咳払いをしてから、竹田が香奈に尋ねた。
「私がいないちょっとの間に、一体何があったのかな?」
「……別に、何も」
「しらばっくれても駄目だってば。あなた、ものすごく嘘がヘタなんだから。顔に出まくりよ」
 くすっと笑った竹田が、テーブルに頬杖をついて香奈を見つめた。
「遠藤先生に、何か落ち込んじゃうような事言われた?」
「……いいえ」
「じゃ、私?」
「いいえ。私が一人で落ち込んでるだけです」
 首を振ってから、香奈はため息をついた。
「ねえ、先生」
「ん?」
「先生って、大人ですよね」
「……突然、何?」
 一瞬戸惑った表情を浮かべた竹田が、気を取り直したように言葉を続けた。
「でもまあ、それなりに大人なのかもね。とりあえず私ももう二七になるわけだし」
「二七歳……。私より一〇上だ」
「ちょっと、ちょっと。喧嘩売ってるの?」
 笑いながら、竹田が香奈の頭を軽く突付いた。
「今あなたが落ち込んでるのは、自分が大人じゃないから?」
「はい」
 こっくりと、香奈は頷いた。
「私、すごい気がきかない奴なんです。後片付けとかそういうの、全然考えてなかった。それに前から思ってたんだけど、遠藤先生っていっつも私の事からかってばっかりで、それで私」
「え、ちょっと待って」
 ふいに、竹田が香奈の言葉を遮った。
「この話の流れって、もしかして。……あなた、遠藤先生の事、好きなの?」
「あ、それは違います!違うんですよ、本当に」
 慌てて首を振りつつも、香奈は自分の顔が次第に赤くなるのを感じた。
 びっくりしたように香奈を見つめていた竹田が、ふぅっとため息をついた。
「そっかぁ、神崎さんが。いや、ちょっと意外だったなぁ、それは」
「あの、先生。私、本当に違うから」
「何言ってるの、違わないでしょう。だって、好きだからこそ遠藤先生の態度が気になるわけだし。そっかそっかぁ。神崎さんがねぇ」
 ふむふむと頷いていた竹田が、やがて身を乗り出して香奈を見つめた。
「ねえ、遠藤先生のどこがいいの?」
「……え?」
「あなたって、他の子達みたいに外見に惹かれるタイプじゃないと思うのよねぇ。ねえ、どこが好きなの?」
 竹田の追及から逃れられないと観念して、香奈はぽつりと呟いた。
「えっと……。やっぱり性格、かなぁ」
「ふーん、そっかぁ。ま、確かにいい奴ではあるわね、彼は」
 笑顔を浮かべている竹田を見て、香奈は尋ねた。
「あの、先生。……お説教とか、しないの?」
「うーん、そうねぇ。まあ本当は、立場上あなたの気持ちをいさめなきゃいけないんだろうけど。でも同じ女性として、この時期に人を好きになるって大事な事だと思うから」
 言葉を切った竹田が、香奈の肩に手を置いた。
「だから、まあ応援は出来ないけど。とりあえず、暖かく見守ってあげる」
 にっこりと笑った竹田を見て、香奈は少し気が楽になった。
 二人が笑顔を交わしていたその時、ドアがそっと開いた。
「……ただいま」
 顔を覗かせた光一郎が、香奈の笑顔に気がついてほっとしたように玄関に足を踏み入れた。
「お、何か知らないけど機嫌直したみたいだな。さっすが竹田先生、ベテラン教師」
 靴を脱いで上がってくる光一郎を、竹田が軽くにらんだ。
「何、調子のいい事言ってるの。とっとと逃げるなんて無責任よ」
「いやいや。女同士で話してもらった方がいいと思って。これでも気を使ったんですよ」  足早にテーブルに近寄った光一郎が、香奈の前にしゃがみ込んだ。
「で、何を落ち込んでたんだ?」
「……恥ずかしいから教えない」
 少し照れくさくて、香奈は光一郎から目を逸らした。


 しばらくの間、三人はなごやかに話をしていた。
 ふいに竹田が、側にあった本棚に目を向けた。
「あ、遠藤先生、あれ何?」
「え?」
「ほら、あの本の間にある写真立て。何かものすごく隠してるくさいけど」
 言葉と同時に手を伸ばす竹田を見て、光一郎が立ち上がった。
「いやだなぁ、竹田先生。妙に目が利くんだから」
 一瞬早く写真立てをつかんで、光一郎がさりげなく高い位置に移動させた。それを見て、竹田がさぐるような目を向けた。
「なぁに?人に見せられないような写真なわけ?」
「いや、これはね、大事な写真なんです。そうおいそれと見せるわけには行かないんですよ」
「大事な写真って?」
「それは、その。……愛しい彼女が写ってるんですよ。言わせないで下さいよ、こんな恥ずかしいセリフ」
 光一郎の言葉を聞いて、香奈の胸にずしんと重いものがのしかかった。
「……何、それ。どういう事?」
「え?」
「愛しい彼女って何?やっぱりそういう人がいるの?いるのに黙ってたの?」
「神崎。おまえ、何言ってんだ?」
「やっぱり、さっきのカレーって彼女に教えてもらったの?それをわざわざ私に食べさせたの?ねえ、そうなの?」
「……おい、ちょっと落ち着け」
 竹田にちらりと目を走らせながら、光一郎が香奈の腕をつかんだ。
「やだ、離してよ!」
 その手を振り払った反動で、香奈の目に浮かんだ涙が頬にこぼれ落ちた。
「……結局、光ちゃんにとって私って単なる幼なじみなんだよね。からかって遊ぶ相手なだけなんだよね」
「いいから落ち着け。俺の話を聞けって!」
「もういいよ!何も聞きたくない!」
 こぼれ落ちた涙を拭いて、香奈は立ち上がった。
 玄関に向かって靴を突っかけた香奈は、そのまま勢いよく外に飛び出した。
「おい、待てって!」
 ドアが開いて、光一郎が出てくる音が聞こえた。
 引き止める声を聞きたくなくて、香奈は急いでアパートの階段を下りた。
 アパートの隣にある公園に入ったところで、香奈は腕をつかまれた。
「ったく、おまえ。何考えてんだ!」
 息を切らした光一郎が、香奈の肩をつかんで前を向かせた。
「竹田先生にどうやって説明するつもりだよ!」
「そのまま言えばいいじゃない。久しぶりに再会した幼なじみですって!」
 光一郎の手を振り払おうとしながら、香奈は声を荒げた。
「何なら私が言ってあげようか?心配する事ありません、私達は単なる昔の知り合いですって」
「……おまえ」
 ふいに、光一郎の手に力が込められた。
「単なる知り合いって何だよ。何でそんな事が言えるんだよ!」
「……だって」
 光一郎から目を逸らして、香奈はうつむいた。
「……だって、彼女いるんでしょ?」
「……え?」
「彼女いるんでしょ?だから、本当は私の事なんか何でもないんでしょ?」
「いや、あの」
「いいよ、最初から分かってたもん。光ちゃんもてるから、そういう人がいたって全然不思議じゃないもん。勝手にその気になってた私がいけないの。もう分かったから」
「いや、だから。ちょっと待て」
 香奈の言葉を遮った光一郎が、困惑した表情を浮かべた。
「あのなぁ、俺が言ってた彼女って……、おまえの事なんだけど」
「……え?」
 とっさに顔を上げて、香奈は光一郎を見つめた。
「……でも、写真って?そんなの撮った事も、あげた事もないよ」
「そんなもん、アルバム引っくり返せばわさわさ出てくるんだけど。小さかった頃の奴が」
「え……、あれぇ?」
 混乱しながらも、香奈は更に尋ねた。
「でも、あの、私。……光ちゃんの彼女だったっけ?」
「いや、それはさぁ……。確か倉庫で、そういう話の流れにならなかったっけ?」
「……あ、あれ?そうだったっけ?」
「それにほれ。しただろ、その。……キス」
「あ、あれはでもそのあの」
 慌てて、香奈は目を伏せた。
「……触れる程度、だったし」
「……もっと熱い奴だったらよかったって事か、そりゃ」
「そうじゃないけど!」
 力が抜けた光一郎の手を振り払いながら、香奈は再び顔を上げた。
「でも光ちゃん、『好き』とかそういう事全然言った事ないじゃない!」
「……おまえなぁ。言われなきゃ分かんねぇの?」
 照れくさそうな表情で頭をかいた光一郎が、乱暴に香奈の腕をつかんで引き寄せた。
「だったら言ってやるから。好きだ好きだ好きだ!どうだ、まいったか!」
「……あれぇ?」
 光一郎の腕の中で身をすくめながら、香奈は呟いた。
「もしかして私……。バカ?」
「ああ、かなりな。でもまあいいけど」
 小さくため息をついた光一郎が、しかしどこか優しい表情で香奈を抱きしめた。
 そんな二人の頭上から、ふいに声が響いた。
「ちょっとちょっと、そこのご両人」
「……げ!」
 光一郎が、慌てて香奈を引き離した。
 見上げた香奈の目に、写真立てを手にしてベランダに立つ竹田の姿が見えた。
「とりあえず、速攻で戻ってきてくれる?山ほど訊きたい事があるんだからね、こっちは」


 一通りの事情を聞いた後。
 竹田が、大きなため息をつきながら頬杖をついた。
「やぁれやれ。どうしたらいいのかなぁ」
 正座をした光一郎が、竹田に向けて深々と頭を下げた。
「黙っててすみませんでした!」
「いや、打ち明けられてても困っただろうけどさぁ」
 困り果てた表情の竹田の顔を、香奈はすがる思いで見つめた。
「でも先生さっき、私の事応援してくれるって言ってくれましたよね」
「それは、あなたの片思いだと思ってたから。こういう状況となると話は別よ」
「あ……、そう何ですか」
 きっぱりと言い切る竹田を見て、香奈は肩を落とした。
 頬杖を外した竹田が、光一郎に真剣な目を向けた。
「あのねぇ。こういう状況の時に責任を取るべきなのは、当然年長者の方よね」
「はい、分かってます」
「君は、この先どうするつもり?」
 竹田の言葉に、光一郎が顔を上げた。
「責任は俺が取ります。俺が、学校を辞めます。だから、この事は秘密にして下さい。お願いします」
「嫌だよ、そんなの!」
 勢いよく首を振りながら、香奈は光一郎の腕をつかんだ。
「私も学校辞める!だってこれは、二人の問題だもん」
「二人共、何かっこつけてるの?」
 飽きれた顔で、竹田が口を挟んだ。
「今のご時世、学校辞めりしたらつらいでしょ、お互い」
 言葉につまりながら、香奈はうつむいた。
「……そりゃ、そうですけど」
「それにね、私としても後味悪いわけよ。あなた達に辞めたりされると」
 ぽりぽりと頬をかきながら、竹田がテーブルに置かれた写真立てを手に取った。
「……まったくもう。無邪気な顔しちゃって」  そこに写る幼い二人の姿を見て、竹田が笑顔を浮かべた。
「よし、しょうがない。今日のところは、全部なかった事にしてあげる」
「え、本当ですか?」
「ただし!」
 思わず身を乗り出した香奈に、竹田が厳しい目を向けた。
「あなた達が自分で決めた通り、卒業までは絶対に教師と生徒の線を越えない事。いいわね?」
「はい!」
 きっぱりと返事をしながら、香奈は深く頷いた。
 光一郎が、真剣な目で竹田を見つめた。
「本当に、それでいんですか?」
「女に二言はありません」
 答えた竹田が、笑顔を浮かべながら光一郎の肩に手を置いた。
「いい?全ては君に掛かってるのよ。卒業までは長いだろうけど、しっかりしてよね」
「……はい。ありがとうございます」
 笑顔を浮かべて、光一郎が頷いた。
 それを確認してから、竹田が立ち上がった。
「さ、そうと決まったらとっとと帰るわよ」
「え、もう?」
 襟あしをつかまれながら、香奈は竹田を見上げた。
「もうちょっと居てもいいんじゃないですか」
「だぁめ。仲直りしたカップルを狭い空間に閉じ込めておくのは危険です。というか、私的にこの状況、かなりうっとうしいし」
「うっとうしいって……。厳しいなぁ、もう」
 しぶしぶと立ち上がる香奈にバッグを押し付けながら、竹田が玄関に向かった。
「ぶつぶつ言わない。素直に言う事きかないと、気が変わっちゃうかもよ」
「あ、はい!今行きます」
 慌てて靴を履く香奈から目を離して、竹田が光一郎に顔を向けた。
「じゃあ、また学校でね」
「はい。また明日」
 再び頭を下げる光一郎に背を向けて、竹田がドアを閉めた。
 ドアを背中にした竹田が、ふぅっとため息をついてから香奈の頭を突っついた。
「まったく、この幸せもんが」
「あ……、あはははは」
「『あはははは』じゃないのよ、もう。大体ねぇ、人に相談しておきながらちゃっかり両思いって何なのよ。あなた私に喧嘩売ってるの?」
「ま、まあまあ先生、落ち着いて。その辺の喫茶店で何か甘いものでもご馳走しますから」
「あら、そう?じゃあ、お店にあるので一番高いのおごらせようっと」
「え、嘘!私今日、そんなに持ち合わせないんですけど」
 さっさと階段を下りて行く竹田に付いて行きながら、香奈は光一郎の部屋を振り返った。
「……またね」
 小さく手を振ってから、香奈は竹田の後を追いかけた。




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