記憶を離れた、ある出来事


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二、

 その日の一時間目はホームルームだった。教壇に立っていた光一郎は、香奈に視線を向けた。
「さてと。今日は文化祭に関して色々決めてもらう事になっている。じゃ、クラス委員。よろしく」
「はい」
 頷いて、香奈が立ち上がった。光一郎に代わって教壇に立った香奈が、教室を見渡した。
「えっと。最初に、文化祭実行委員を決めたいと思います。実行委員には、委員会の会合に出て全体を仕切ってもらうと同時に、クラスの出し物を中心的に作ってもらう事になります。では、立候補でも推薦でもいいので」
「はい!」
 香奈の言葉を遮って、七美が勢いよく手を上げた。
「……飯塚さん」
「はい。私、立候補します。実行委員になって、がんがん仕切って行きたいのです」
「がんがん仕切って……」
 小さく呟いた香奈が、どことなく焦った様子で教室中を見渡した。
「あの、他に誰かいませんか?推薦でもいいんですよ。ほら、それ、誰か。……いないのぉ?」
 不機嫌な表情で、七美が香奈をにらんだ。
「ちょっとクラス委員、何それ。私じゃ不満だっつうの?」
「そんな事言ってないけどぉ」
 言っていないけどとても不満そうな香奈の表情を見て、七美が光一郎に向かって手を上げた。
「先生!このクラス委員の態度、問題だと思いませんか?人権侵害です」
 立場上どちらの味方も出来ず、光一郎はあいまいな笑顔を浮かべた。
「いやいや、飯塚。神崎は別に、そういうつもりじゃないと思うぞ。神崎、他に誰もいないようだし、飯塚に決めたらどうだ?」
 光一郎の言葉を聞いて、七美が張り切って席を立った。
「さっすが先生!公平なご判断です。そこのクラス委員、ちょっとは先生を見習いなさいよね」
 そのまま教壇に進み出た七美が、香奈の肩を押しやった。
「さ、どいてどいて。あんたの役目は終わり。これからは私ががんがん仕切るんだから」
「……うるさいなぁ。分かってるってば」
 香奈が席に戻るのを見届けてから、七美がクラス中に笑顔を振りまいた。
「さてさて、お待たせ致しました。文化祭実行委員、飯塚七美をどうぞよろしく。で、早速二年E組の出し物を決めるわけですが。実は、最初に私から提案があります」
 にっこりと笑いながら、七美が黒板に向かった。そこに書かれた言葉は「おばけ屋敷」だった。
「じゃーん。やっぱり、文化祭の花って言ったらこれでしょ、これ」
「反対!」
 いきなり、席を蹴散らしながら香奈が立ち上がった。
「絶対反対、何が何でも反対!」
 香奈に目を向けた七美が、冷静な口調で答えた。
「発言がある人は、まず手を上げて下さい」
「……はい」
 大人しく手を上げた香奈から、七美が目を逸らした。
「では、意見がある人が誰もいないようなので、このままおばけ屋敷に決めたいと思います」
「ちょっと、いい加減にしなさいよ!」
 七美をにらみつけながら、香奈が教壇にどしどしと歩み寄った。
「大体にしてね、何で実行委員自ら意見出してるのよ。普通、進行役やる人は意見しないものなのよ」
「そんな事、誰が決めたの?何時何分何十秒?」
「子供か、あんたは!」
 そのまま無限に言い争いそうな二人に、光一郎はそろそろと近づいた。
「……あのね、君達。このままじゃ話し合いが進まないから。もう少し穏便に行こう、穏便に」
 傍らに立った光一郎を、香奈が泣きそうな顔で見つめた。
「でも先生、こんなの横暴です。私、おばけ屋敷は……嫌です」
 そのすがるような目に胸をちくちく痛めながら、光一郎は香奈の背中をゆっくりと押した。
「まあまあ。とにかく、神崎は席につけ」
「……はい」
 大人しく戻った香奈を確認してから、光一郎は七美に目を向けた。
「飯塚、自分本位に進行するのはやめなさい。まずはきちんと、神崎の反対理由を聞かないと。な?」
「……はい」
 気まずい表情で頷いてから、七美が香奈に目を向けた。
「じゃ、神崎さん。反対理由を言って下さい」
「はい」
 立ち上がった香奈が、少し恥ずかしそうにうつむいた。
「私がおばけ屋敷に反対なのは。……暗闇が、嫌だからです」
「……は?」
「だから、暗闇が嫌なの」
「暗闇が嫌だって……。もしかしてあんた、いい年こいて暗いところ恐いの?」
「……う」
 一瞬声を詰まらせた香奈が、開き直ったように答えた。
「ああ、そうですよ!私は暗いところが恐いんです。悪い?」
「うっそぉ、本気で恐いの?信じらんない、あんたいくつよ」
 バカにしたように笑いながら、七美が光一郎に目を向けた。
「ねえ、先生。おかしいですよね」
 ぽりぽりと頭をかきながら、光一郎は答えた。
「いや、俺はおかしいとは思わないけどなぁ。むしろ可愛いじゃないか、そういうのって、うん」
「……そうですよねぇ、可愛いですよねぇ」
 うんうんと頷きながら、七美が同意した。
「実は私も恐いんです、暗いとこ」
「じゃ、やめてよ。おばけ屋敷」
 ぼそっと呟いた香奈を、七美がにらみつけた。
「それはそれ。これはこれよ」
「何なのよ、それ!適当な事ばっかり言わないでよね」
 再び席を立とうとした香奈を見て、光一郎はさりげなく口を挟んだ。
「神崎、代案はないのか?」
「……え?」
「そうやってやみくもに反対してるだけじゃ話が進まないだろう。何か他に案があるんなら、それを発表したらどうだ?」
「あ……。そうですね、代案ね。ええ、ありますとも、もちろん」
 呟きながら、香奈がしばらくの間うつむいていた。それを見て、七美が眉をひそめた。
「……あんた、絶対今考えてるよね、他の案」
「違います!ちゃんと考えてあります。ちょっと待ってよ、今言うから」
 必死な表情で頭を抱えていた香奈が、少ししてから大きく頷いた。
「私はやっぱり、文化祭と言えば喫茶店だと思います」
「えー、喫茶店?」
 途端に、七美が不満の声を上げた。
「喫茶店なんてやだぁ。ありきたりだし、サービスしなきゃなんないじゃない」
「おばけ屋敷だって、いわゆるひとつのサービス業でしょ」
「そりゃそうだけど。でも、おばけ屋敷は愛想笑いもリップサービスもいらないのよ。ただただ脅かしてりゃいいんだから」
「まあ、二人共。落ち着け」
 再び口論になる前に、光一郎は先手を打って口を挟んだ。
「ここはひとつ、多数決にしたらどうだ?民主主義にのっとって。な?」
「そうですね。その方が手っ取り早いし」
 頷いた七美が、クラスを見渡した。
「じゃ、多数決にします。みんながやりたい方に手を上げてね」
 先を制するように、香奈が辺りを見渡した。
「ねえ、みんな。喫茶店はいいよぉ。可愛いユニフォーム着たりして。ほら、二日目の一般開示の時、男の子に絶対もてるって」
「ふっ、甘いわね。これだから男女交際に縁のない奴は……」
「何よ、どういう意味?」
 香奈の言葉を聞き流して、七美が同じように辺りを見渡した。
「あのね、みんなよく聞いて。一般開示の時に好きな男の子連れてくるでしょ。それで、うちのクラスのおばけ屋敷に入るの。そしたらほら、『恐ぁい』とか言って抱きついちゃったり出来るじゃない」
「うわぁ、何それ。今時、そんなべたべたやらないでしょ、普通」
「……何よ。いいじゃない、べたべただって」
 ちょっと恥ずかしそうに言い訳する七美に、香奈が言葉を続けた。
「大体ね、あんたの提案には無理があるのよ。文化祭の出し物でそんなに恐いの作れるわけないでしょ」
 香奈の反論に対して、七美がむっとした表情を浮かべた。
「何言ってるのよ。作れるって、余裕で」
「絶対無理!」
「絶対、作れるったら作れるの!」
 大きく足を踏み出しつつ、七美が鼻息荒く答えた。
「私が責任を持って、最高に恐いのを作ってみせる!」
 いつまでも終わらない言い争いが続く中、光一郎は一番前の席に座っている水戸に、こっそり聞いてみた。
「なあ、水戸。君は、どっちがいいと思う?」
「そうですねぇ」
 相変わらず表情を変えずに、水戸が答えた。
「多分、他のみんなも同じ意見だと思うけど。私としては、どっちがいいってより、どっちでもいいって感じです。どうでもいいとも言えるかも」
「……あ、そうなんだ。クールだねぇ、君達は」
「今時、文化祭であんなに熱くなれるのってあの子達くらいだと思いますよ」
「うーん。何だか辛らつな意見だけど、的を射ている気がするなぁ」
 冷静な水戸の言葉に、光一郎は複雑な思いで頷いた。
「……ところで、なあ水戸」
「何ですか?」
「結局、ハワイ原産の魚はブームになってるのか?」
「……まだこだわってるんですか?」
 一瞬哀れむような表情を浮かべてから、水戸が答えた。
「ハワイ原産の魚は、別にブームでもなんでもないですよ」
「……あ、そうなんだ。そうだよなぁ、うん。
魚なんかがブームになるわけないよなぁ」
 納得して笑顔を浮かべた光一郎を見上げ、水戸がうっすらと笑った。
「でも、来年はブレイクしますよ、魚。今のうちにチェックしておいた方がいいと思いますけど」
「……え?」
 呟いてから、光一郎は水戸の表情を探るように見つめた。
「またそんな事言って。嘘なんだろ、な?」
「いいえ、本当です。絶対流行ります。間違いないです」
 
 
魚は来年、ブレイクするのかしないのか。新たな疑問を抱えてしまった光一郎をよそに、多数決が執り行われた。
結局、二年E組の出し物はおばけ屋敷に決定した。票に大して開きがなかったところが非常に絶妙だなぁと、光一郎は頭の片隅で思った。



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