SHAKE! 
9th stage


九、


 寮に戻って夕食を済ませてから、朗は研究書を開いた。こたつに向かっている朗の横で、美弦が台に突っ伏して寝入っている。
「よお、調子はどうだ」
 ドアが開いて、淳が顔を覗かせた。
「何か分かったか?」
「ああ、分かった。俺が読んでも何も分からんという事が分かった」
 頷きながら、朗は本を閉じた。
「淳、頼む」
「おまえ、……根性ねぇなぁ」
「何を言う。根性はあるぞ。ただ頭がないだけだ」
 きっぱりと答えてから、朗は淳に本を差し出した。
「これは、頭はあるが根性はない君の仕事だ」
「おい、それが人にものを頼む態度か?」
 呆れた顔で、それでも淳が本を受け取った。
 その時、突然美弦がむっくりと起き上がった。
「お、ようやく起きたか」
 朗は、美弦の頭を軽く叩いた。
「どうだ、おまえもこの本読んでみるか?でもこんなに難しい本読んだらきっとまた寝ちまうな、ははは。……って、おまえ話聞いてるか?」
 何の反応もせずにぼんやりしていた美弦が、いきなりくりっと朗に顔を向けた。
「……朗」
「……はい」
「お風呂入りたい」
「はい?」
 突然の申し出に驚きつつ、朗はユニットバスを指差した。
「ああ、風呂な。じゃ、そこでシャワー浴びて来い」
「シャワーじゃ嫌」
「え、お湯張るの?汚ねぇぞ、湯船」
「汚いのなんて嫌」
「じゃ、どうすんだよ」
 眉を寄せた朗に、美弦が尋ねた。
「ここの寮って、大浴場ないの?」
「ああ、……あるけど」
「そこがいい。そこに入りたい」
「ああ、……大浴場ねぇ」
 困って目を逸らした朗は、しばらくしてから恐る恐る美弦に目を戻した。
「あの、美弦ちゃん。この寮は男子寮なんだよ」
「入りたい」
「男子寮の風呂に女子は入れないだろ」
「入りたい」
「あの、だからね、美弦ちゃん」
「入りたい」
「おまえね、わがままも大概に」
「入りたい!」
 朗の言葉をさえぎって、美弦が叫びだした。
「入りたいったら入りたいったら入りたいったら入りたい!」
「ったく、こいつは!」
 呟いてから、朗は淳に目を向けた。
「どうするよ?」
「俺、本読むのに忙しいから自分で考えて」
「あ、おまえはまた俺に責任を」
「誰の責任でもいいから!早くしろ早くしろ早くしろー!」
「分かったつうの!少し静かにしてろ、おまえは」
 迫ってくる美弦を押さえてから、朗は一人で考え始めた。
「……よし、こうしよう。風呂を使える時間は一一時までだ。そのぎりぎりを狙えば、たぶん無人だと思う。その隙に入れ」
 淳が口を挟んだ。
「無人じゃなかったらどうするんだよ」
「その時は、入ってる奴を全員引きずり出す」
「その全員が先輩じゃなきゃいいけどな」
「他人事みたいに言うなよ。おまえも一緒にやるんだぞ」
「俺は、そういう事むいてないからパス。何しろ、頭はあるけど根性ないからな」
「……淳」
 席を立った美弦が、横にしゃがんで顔を覗きこんだ。
「一緒に来てくれる、よね?」
「もちろんだとも」
「おまえなぁ!」
 朗は、横から淳の首を絞めた。
「何なんだよ、その態度の変わりようは!」
「仕方ねぇだろ、俺だって男なんだから!」
 戦っている二人をよそに、美弦がこたつに足を入れた。
「ねぇ、今何時?」
「あ?」
 淳への攻撃を緩めて、朗は答えた。
「今?九時だよ」
「あ、そう。じゃ、時間になったら起こしてね」
「おい、ちょっと待て」
 再び寝かかった美弦に、朗は声を掛けた。
「もう少し起きてろ。そろそろおまえに届け物がある頃だから」
「届け物って、私に?」
 美弦の言葉に答えるように、タイミングよく呼び出しの放送が掛かった。
「お、お出でになったな。どうする?俺が受け取ってこようか」
「ううん、いい。自分で行く」
 興味津々な顔で、美弦が部屋を走り出た。
 三人が向かった玄関に、紙袋を抱えた直見が立っていた。
「あ、直見さんだ!」
 駆け寄って来た美弦を見て、直見が笑顔を浮かべた。
「ああ、美弦ちゃん。はい、これ」
 差し出された紙袋を受け取って、美弦が首を傾げた。
「これ、何?」
「あなたの下着よ。とりあえず、上下五枚ずつ買っといたから」
「し、下着?」
 美弦が、紙袋をくしゃくしゃと丸めた。
「でもあの、サイズは?私、教えてないよ」
「あら、朗君に教えてもらったんだけど。サイズってこれよね」
 美弦を手招きして、直見が小さなメモを差し出した。こっくりと頷いた美弦が、朗を睨みつけた。
「何で知ってるの?」
「あ、そりゃ勘で言っといたんだけど。やっぱり当たってた?」
「勘?」
「そうそう。だってほら、触っただろ、胸」
 説明しながら、朗はにんまりと自分の右手を見つめた。
「本当におまえの胸は小さくて可愛らしくて。……そう、調度ほら、この位の大きさで」
「この変態!」
 朗の体はぶっとび、壁に激突した。
「うげ!」
 鈍い声を上げながらずり落ちる朗から目を離し、美弦がきりっと直見を見た。
「買い物して来てくれてありがとう。またお邪魔します。道也先生によろしく」
「あ、はい」
 直見が、こっくりと頷いた。
「淳、お風呂に行く時間になったら教えて。それまで、こいつを絶対部屋に入れないで」
「はい、かしこまりました」
 淳が即座に答えた。
 そのままくるりと背を向けて、美弦が肩を怒らせながら廊下を戻って行った。
「……痛ってぇなぁ。いきなり何なんだよ」
 強打した腰をさすりながら、朗は美弦を見送った。
「あいつ、何をあんなに怒ってんの?」
「ていうか、普通怒るでしょ」
 さりげなく胸を隠しながら、直見が呟いた。
「近づかない方がいいですよ。こいつ、真の助平ですから」
 さりげなく直見の肩に手を乗せて、淳が笑顔を浮かべた。
「さ、こんな奴はほっといて、お茶でもいかがですか?」
「あらそう?じゃ、ちょっとお邪魔しようかしら」
 そのまま、二人は連れ立って廊下を歩き出した。
「ねえ何で?何でこんなに冷たくされるの?俺が何をした?」
 ひとり訳が分からず、朗は答えてくれない二人にいつまでも疑問を投げ続けた。


 脱衣所に入る前に、美弦が朗を睨みつけた。
「覗かないでよ!」
「んな事するほど暗くないから、俺は」
 憮然としながら朗は答えた。その言葉を軽く無視して、美弦が淳に顔を向けた。
「この人の監視、よろしくね」
「はいはい、喜んで」
 頷いた淳を確認してから、美弦がドアを閉めた。ふてくされながら、朗は腰を下ろした。
「意外と根に持つタイプだな、あいつ」
「このくらい普通の自己防衛じゃないの?ほら、おまえ変態だし」
「軽く言うな!つうか俺は変態じゃねえ!」
「それにしても、誰もいなくてよかったな、風呂」
「人の抗議を無視するな!」
 淳を睨み付けた朗は、やがて諦めてため息をついた。そのため息を聞いて、淳が笑った。
「おいおい、そんなにいじけるなって」
「いじけてねぇよ、別に」
「じゃあ何だよ、その憂鬱しいため息は」
「いや、あのさ」
 後ろの壁に寄りながら、朗は片膝にひじをついた。
「これから毎日、あいつが風呂に入るのを見張ってなきゃいけないんだよな、俺達」
「まあ、そうだな」
 淳が頷いた。
「面倒くさいけど、しょうがないだろう、これくらい」
「いや、別に面倒じゃないけどさ。だけど、この中で、あいつは裸なわけだろ?それを考えると俺、胸が苦しくて」
「……おまえな」
 心底呆れたように、淳が天を仰いだ。
「自制してくれ、頼むから」
「しょうがねぇだろ!男だったら普通、複雑な気持ちになるだろう、こういう時」
「男を全部おまえの仲間にするな。不愉快だ」
「何だよ、偉そうに。そんな事言いながら、おまえだって色々考えてんじゃねぇの?」
「考えていいのか?じゃあ、考えるぞ。美弦をベースに考えるぞ」
「あ、駄目だ、それは許さん!それだけは駄目だ」
 慌てだした朗を見て、淳がため息をついた。
「まったく。買われて困るような喧嘩を売るなよ、おまえは」
「はい、すいませんっす」
 へこへこと頭を下げた朗は、ふと耳を澄ました。
「ん?今、何か聞こえなかったか?」
「いいや」
「そうか?」
 きょろきょろと辺りを見渡した朗は、次の瞬間立ち上がった。
「おい、今のは聞こえたな?」
「ああ。『何これー!』って叫んでたな、美弦が」
「だよな?美弦の声だよな!」
 淳の同意を得て、朗はそわそわぐるぐると歩き始めた。
「叫ぶって事は、すなわち緊急事態って事だよな?」
「まあ、それはそうかも知れないな」
「って事は、助けに行かねばいけないな」
「いや、それはどうかと思うが」
「いやいや、止めるな。止めてくれるな!」
 朗は、ドアの前にすっくと立った。
「どんな危険があろうとも、俺は行かねばならぬのだ。さあ、待っていろ愛しい人よ。おまえの王子が今向かう。とりゃー!」
 謎の気合と共に、朗は勢いよくドアを開けた。そこに座り込んでいる美弦を見て、朗はがっくりと肩を落とした。
「おまえ……、ここまで期待させといて服着てるってどうよ」
「だから、自制しろってば」
 淳が、朗の後頭部を引っ叩いた。
 床に座り込んでいた美弦が、後ろ頭をさすっている朗を見上げた。
「ねえ、何あれ。何であんな事になってるの?」
「何あれって、何かあったのか?」
 呆然とした美弦の表情を見て、朗は慌てて風呂場に向かった。
「何だよ。普通じゃねぇか」
「嘘だぁ!」
 立ち上がった美弦が、朗の横に駆け寄った。
「このお風呂場のどこが普通なの?」
 美弦が指差した風呂場には、広々とした空間と、由緒正しい露天風呂が存在していた。
 凛とした気品と上品さが漂うその風呂場は、ゆったりと立ち上る湯気で常にかすんで見える。奥の方にある打たせ湯が、ばしゃばしゃと心地いい音を立てていた。
 その手前には、形よく積み上げられたひのきの桶が見える。そして中央には、広くゆったりとしたひのきの湯船が穏やかな癒しの香りを放っていた。
 今すぐにでも飛び込みたい。そんな気持ちにさせる湯の中には、すでに先客がいた。肩までしっかりと湯につかって真っ赤な顔をしているその先客とは、三匹の猿だった。朗の横にいる美弦を見て、猿達は一斉にうききっと楽しそうに鳴き始めた。
 頭をかきながら、朗は美弦に目を向けた。
「だから、ここのどこが普通じゃないの?」
「あの、普通いないと思うんだけど、猿。それに、どうして寮のお風呂がこんなにりっぱなの?」
「りっぱな風呂ってこれが?こんなの普通にどこにでもあるだろ?」
「普通じゃないって!ちょっと朗、大丈夫?どっかで強く頭打ったりしなかった?」
「おまえが言うなよ、おまえが。さっき俺の事吹っ飛ばしたばっかじゃねぇか」
「あのさ、ちょっといいかな」
 いつまでも続く不毛な会話に、淳が口を挟んだ。
「要するに、美弦の知ってる風呂はこうじゃないじゃないだよな。もっと地味なんでしょ?」
「う、うん」
 こっくりと頷いた美弦を見て、朗は驚いた。
「え、そうなの?じゃ、おまえんとこの風呂はどんなんだよ」
「ええっと、だから。ごくごく一般的な何の変哲もない湯船があって。その横に、ごくごく一般的な何の飾り気もない洗い場があって」
「へー、つまんねぇ風呂だな」
「……うん、そうだね。つまんないよね」
 寂しげに肩を落とす美弦を残して、朗と淳は風呂場を出た。
「まあ、とりあえず入れよ。何の問題もないからさ」
「でもでも、猿が恐いんだけど」
「ああ、ありゃ大丈夫だ。襲ってきたりしないから」
「どうして襲ってこないって言い切れるの?」
「そういうもんなの、あれは。とにかく大丈夫だからとっとと入ってくれよ。俺らが入れないだろ」
「でもぉ」
 まだ不安げな美弦に、淳が笑顔を向けた。
「大丈夫だよ、美弦。あいつらは本当に何もしないから。ね?」
「うん、分かった」
 こっくりと頷いて、美弦がドアを閉めた。そのドアを見つめながら、朗は呟いた。
「何でおまえの言う事はあっさりきくんだよ」
「それは、俺の方が顔がいいからじゃないかな」
 あっさりと答えてから、淳が腰を下ろした。
 しばらくして、上気した顔の美弦がドアを開けた。
「めちゃくちゃ気持ち良かった。このお風呂、最高!」
 湯上りの美弦にちょっとどきどきしつつ、朗は立ち上がった。
「そうかそうか、良かったな。猿も大人しかっただろ?」
「うん、まあね」
 濡れた髪をタオルで拭きながら、美弦が頷いた。
「でも、あの子達ったら順番に私の胸を触りに来たんだよ」
 朗の頬が、ぴくりと引きつった。
「……おまえの胸を、触った?」
「うん。でも注意したらすぐにやめてくれたけど」
 血走った目をした朗には、すでに何も聞こえていなかった。
「あいつら、俺の生胸を!絶対に許さん!」
 ドアを破壊しそうな勢いで、朗は風呂場に突入した。
 うきーうきーと聞こえてくる絶叫を耳にしながら、美弦が首を傾げた。
「どうしたのかな、朗ったら。何であんなに怒ってるんだろ」
「まあ、奴も複雑な年頃だから。気にしないでやってくれ」
 答えた淳が、同情を含んだ目を風呂場に向けた。





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