SHAKE! 
10th stage


一〇、


 夜中に目が覚めて、朗は起き上がった。目覚まし時計の針は午前三時を指している。カーテンの向こうはまだ暗い。
 もう一度寝ようと目を閉じたが、なかなか眠気がやってこない。諦めて、朗はベッドを離れた。そして音を立てないように、こっそりと部屋を抜け出した。
 寮の一階にある道場に入り、壁際のスイッチを押した。明るくなった室内に入って、朗は道具置き場から木刀を取り出した。
 木刀を手にしたままストレッチをする。体が温まった頃、軽く息を整えてから素振りを始めた。
 一〇、二〇と回数を重ねるごとに、だんだんと無心になっていく。その心の状態が、朗は結構好きだった。
 一〇〇回の素振りを終えて足を止めた。流れる汗をTシャツで拭いていると、ふいにタオルがふわりと投げられた。
「運動するんなら、タオルくらい用意しときなよ」
「なんだよ、美弦。いつからそこにいたんだ?」
「さっきからずっと。朗が部屋を出る時、後をつけてみました。どっかいかがわしい所に行くかと思ったら、意外と健全ね」
 汗を拭く朗に、美弦が歩み寄った。
「ね、木刀貸して」
「はいよ」
 木刀を受け取った美弦が、朗に笑顔を向けた。
「それにしても、なかなかいい足さばきしてるじゃない。朗も剣道やってたの?」
「ああ、それそれ」
 その場にどっかりと座り込んで、朗は美弦を見上げた。
「洞窟でも訊いたんだけどさ、剣道って何だ?」
「うーんとね、剣道っていうのは、刀で行う勝負をスポーツにしたもの、って感じかな」
 朗の横に座って、美弦が答えた。
「鎧と兜みたいなのを着て、これよりもっと柔らかい、竹で出来た刀を使って戦うの」
「へー、そんなスポーツがあるんだ。じゃ、あれか。おまえ達の世界でも強い奴が出世したりするのか?」
「ううん、出世なんかしないけど。こっちの世界ではするの?」
「ああ。いい学校とか企業に入りたかったら、頭だけじゃなくて戦いの腕も鍛えなきゃいけないんだ」
「ふーん、なるほど。だから大学の試験があんなんだったんだ」
 納得したように、美弦が頷いた。
「じゃあ私、こっちの世界に生まれた方が良かったのかも知れないなぁ」
「ああ、そうかもな。おまえの強さならガンガン出世出来るぞ」
「そう?そう言われるとちょっと嬉しいけど」
 美弦が、照れくさそうに笑った。
「ねえ、朗は成績いいの?」
「ん?まぁな」
 少し頬を緩ませながら、朗は答えた。
「自分で言うのも何だけど、俺は結構優秀な男だぞ」
「ふーん、そうなんだ……」
 呟いた美弦が、ふいに立ち上がった。
「じゃあさ、私と勝負してみない?」
「勝負?」
 美弦の申し出に、朗は笑って答えた。
「おいおい、勘弁してくれよ。女相手にそんな事」
「私ね」
 言葉を遮った美弦が、木刀の先を朗の首に突きつけた。
「誰かと対戦した時、負けた事が一度もないの。相手が誰でも絶対勝ってた」
 美弦が、にっこりと笑った。
「相手として、不足はないんじゃない?」
 朗は、黙って美弦を見つめた。やがて目を逸らし、首に向けられた木刀を押しのけた。
「分かった、勝負しよう」
 立ち上がった朗を見て、美弦が笑顔を消した。そして、無言のまま背を向けた。


 ストレッチをする美弦を見ながら、朗は先ほどの言葉を思い返した。
 負けた事がないなんてあり得ない、単なるはったりだろう。そう思いつつも、朗にはその言葉を簡単に聞き捨てられなかった。
 洞窟で幻獣と向き合った時、美弦はその表情を一瞬で変えた。近づく者を全て切り裂いてしまいそうな、そんな目をしていた。
 軽く頭を振って、余計な気持ちを追い出した。結果はすぐに出る。今、自分が美弦と戦えば、嘘か本当か分かるのだ。
 道場の真中で、二人は向き合った。
 一礼してから、互いに木刀を構える。その先を一回、軽く打ち合わせた。それが開始の合図だ。
 すぐに、全身からじっとりと汗がにじみ始めた。予想していた事だが、美弦はすでにいつのも美弦ではなかった。その変化に飲み込まれる前にと、朗は思い切って足を踏み出した。
 右に左にと打ち込む木刀を、美弦があっさりと受け止める。軽くさばかれている事に焦りながら、朗は美弦の左腹に大きく打ち込んだ。美弦が体を引き、朗の木刀は空を切った。勢いでがら空きになった朗の腹に、美弦の木刀が横殴りに向かう。一瞬早く地面を踏み込んで、朗は後ろに跳んだ。
 着地した朗は、体勢を立て直してすぐに踏み込んだ。
 上から下から、右から左から。全ての打ち込みが美弦には読まれている。フェイントで、朗は上空に跳んだ。頭上から打ち込まれるその一撃を、美弦が真っ向から受け止めた。勢いで弾き飛ばされた朗は、空中で一回転してから着地した。
 湧き上がる怒りを押さえながら、朗は美弦を睨み付けた。
「なあ、そろそろ本気出してくれてもいいんじゃねぇの?」
「……うん、分かった」
 一瞬、美弦の口元が上がった気がした。次の瞬間、朗は美弦の姿を見失った。
 気がつくと、朗の手から木刀が弾き飛ばされていた。床を転がる木刀の音を聞きながら、朗は目の前に着地する美弦を見つけた。身動きが取れない朗の心臓に、美弦が木刀を突きつけた。
 そのまま二人は、しばらくの間身動きひとつしなかった。


 道場に横になって、朗はぼんやりと天井を見つめていた。美弦が出て行ってから、すでに二時間以上経っている。
 ショックだった。負けた事よりも、美弦の強さがショックだった。
 表の世界では誰もが戦いの訓練をしている。危険を承知で、時には体を切り裂かれながら。
 裏の世界では、そういう風習はないと聞いている。武道を心得ていない者もたくさんいるらしい。そんな中で、美弦のあの強さは何だ。才能と呼ぶにはあまりにも大きな、あの強さは。
 いつの間にか夜が明けていて、窓から日差しが差し込んでいる。朗は軽く目を閉じた。まぶたの奥にも、太陽の光が感じられる。
 ふいに、まぶたに影が差した。目を開けると、そこに美弦がいた。
「寝てた?」
「いや、ぼーっとしてた」
「そう」
 美弦が、朗の横に座った。
「あの、……ごめんね」
「何で謝るかな?」
 苦笑いしながら、朗は体を起こした。
「謝る理由がないでしょ」
「でも、私が勝負持ちかけたりしなかったら、嫌な思いさせる事もなかった」
 膝を抱えながら、美弦が言葉を続けた。
「私ね、自分の事強いって嬉しそうに言う朗見て、なんかいらいらしちゃったの。それで、あんな事しちゃって」
「あのさ、もういいから」
 朗は、美弦の言葉をさえぎった。
「別に、おまえは悪くないよ。単に俺が弱かっただけだし。だけどな、いいか?」
 その場で立ち上がって、朗は美弦を見下ろした。
「このままで済むと思うなよ!俺はな、もっと強くなる。で、必ずおまえに勝ってやるんだ、ざまあみろ!わっはっはっは!うわーっはっはっはっは!」
 腰に手をやり空笑いする朗を、美弦がじっと見上げた。
「本当に、私より強くなるの?」
「おう、なってやる」
「で、私に勝つの?」
「おう、叩きのめしてくれるわ!」
「そう、なんだ」
 うつむいた美弦の目から、ふいに涙がこぼれ落ちた。それを見て、朗は慌ててしゃがみこんだ。
「おいおい、泣く事ないだろ。意地悪な事言って悪かった。謝る謝る」
「ううん、違うの。嬉しいの」
 美弦が首を振った。
「私に勝つって言ってくれて嬉しいの。だから泣いてるの」
「え、そうなの?」
「うん、そうなの」
「……ごめん、意味が分からないんだけど」
「いいの、意味が分からなくても」
 美弦が、にっこりと笑った。
「私、待ってる。だから一刻も早く強くなって、私をやっつけてね」
「ああ、分かった。分かったけどさ。おまえって本当に変な奴だよなぁ」
 呆れてため息をついた朗の顔を、美弦が覗きこんだ。
「変な奴は、嫌い?」
 どきっとしながら、朗は答えた。
「……嫌いじゃありません」
「そう、良かった」
 再びにっこりと笑ってから、美弦が小走りで道場を出て行った。
「何だよ、何なんだよ。本っ当に分からないだけど。奴の行動が」
 ひとり取り残された朗は、途方に暮れながら呟いた。





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