SHAKE! 
8th stage


八、


 家に入った朗は、居間のドアを開けたところで誰かとぶつかりかけた。
「あ、すみません」
 慌てて足を止めた朗を、道矢の妻である直見が笑顔で見上げた。
「いらっしゃい、朗君。どうぞ座って」
「あ、はい」
 居間に置かれているダイニングテーブルには、すでに美弦と淳が座っている。二人の側にいた道矢が、直見に呼ばれて台所に消えた。
 その隙に、美弦が朗に囁いた。
「直見さんって素敵だね。笑顔も物腰もきれいだし。何て言うか、大人って感じ」
 言葉を切った美弦が、にやりと笑いながら朗を見上げた。
「ねえねえ、どうよ、年頃の男として。結構憧れたりしてるんじゃない?」
 肘でうりうりしてくる美弦に、朗は冷たい目を向けた。
「おまえ、時々下品だな」
「でも、そこが可愛かったりするでしょ?」
 にっこりと笑顔を見せてから、美弦が肘うりうりを再開した。
「まあ、そんな事はどうでもいいから。ねえねえ、どうなの、直見さん。好み?」
「おまえは……、天誅!」
「痛!何で叩くの?」
 頭を抑えた美弦が、淳に訴えかけた。
「ねえ、ひどいと思わない?朗ったらいきなり叩くんだよ」
「いや、今のは叩かれても仕方ないと思う」
 淳がきっぱりと答えた。
 不満げな顔の美弦が口を開きかけた時、おぼんを持った道矢が、ふらふらと現れた。
「ジュースだ、さあ飲め」
 慣れない手付きでグラスを配り出した道矢を見て、美弦が腰を上げた。
「あ、私やりますよ」
「いいのよ、座ってて。あなたはお客様なんだから」
 続けて現れた直見が、道矢に優しく、しかし厳しく声を掛けた。
「道矢さん。お茶をお出しする時は、もっと笑顔で愛想よく、ね」
「愛想よく?」
 呟いた道矢が何かを考えた後、三人を順番に見据えながら唇の端を吊り上げた。
「絞りたてのオレンジジュースだ。飲んでくれ、ぜひ」
「……はい、いただきます」
 深々と頭を下げてから、三人はグラスを持ち上げた。


 一通りの話を聞き終えた道矢が、困ったように頭をかいた。
「何と言うか、まあ。……元気を出せ」
「大丈夫、もう平気」
 オレンジジュースを飲みながら、美弦がにっこりと答えた。
「みんな優しいし、こっちの世界を見るのも意外と楽しいから」
 直見が、いたわるような視線を向けた。
「前向きなのね。偉いわ」
「うん。何とか、前向きでいられてる、かな」
 せつない表情を浮かべた美弦の気を逸らしたくて、朗は急いで話を変えた。
「そんなわけで、俺達は裏の世界に戻る方法を探しに来たんですが。何か本とかないですか?」
「いや、それがな」
 道矢が、あごに手をやった。
「うちには、裏の世界に関する本が結構あるんだが、実は一番重要な本がないんだ」
「一番重要な本?」
「ああ。ちょっとこれを見てくれ」
 道矢が席を立って、本棚から一冊の本を取り出した。その本のページに、一人の人物の名前が大きく記載されていた。
「葵博士?」
「うむ。その葵博士は一五〇年ほど前の人物なんだが、裏の世界にまつわる謎に惹かれ、その研究に一生をささげたらしい」
 テーブルに置かれた本を手に取りながら、朗は尋ねた。
「どんな人だったんですか?」
「詳しくは分からん。とにかく謎が多い人でな」
 椅子に座りながら、道矢が言葉を続けた。
「葵博士は外界と接する事を嫌う人で、自分の研究を世に公表する事がなかった。だが、一冊だけ本を出している。それがこれだ」
 朗から本を受け取って、道矢が二・三ページめくって見せた。そこには、一冊の本の背表紙が写されていた。
「うわ、何だよ、この分厚さ。一五センチはあるんじゃないの?」
「その分、たくさんの情報が詰まってるはずだ。その本があれば、必ずおまえ達の役に立つだろう」
「なるほど」
 頷いた朗は、道矢に疑問を向けた。
「でも、そんなに重要な本なのに何で買わないんですか?研究してるなら、手元に置いておきたいでしょ?」
「……ん?」
 道矢が口ごもった。
「それはまあつまり、これだけ厚みのある本だとそれなりに高額なわけで」
「家計を預かる主婦としては、購入を認めるわけには行かないの」
 道矢の横で、直見がにっこりと微笑んだ。
 研究書のタイトルをメモしていた淳が、顔を上げた。
「先生。うちの大学の図書館に行けば、この本読めますよね」
「ああ」
 頷いた道矢が、一瞬にやりと口元を上げた。
「ただし、特殊な方のだがな」
「げ!」
 朗と淳が、同時に顔を歪めた。
「勘弁してくれよ。俺、あいつとは一生関わらねぇって決めたのに」
 絶望的な気持ちでうなった朗の顔を、美弦が不安げに覗いた。
「ねえ、何でそんなに嫌がってるの?」
「ああ、いや」
 慌てて、朗は表情を緩めた。
「そんなに嫌がってるわけじゃないよ」
「もしかして、危険な事?」
「いや、危険ではない。それは全然大丈夫だから」
 無理やり笑顔を作って、朗は立ち上がった。
「おい、淳。そろそろ行くぞ」
「ああ、行きたくねぇなぁ」
 愚痴りながら、淳が立ち上がった。
「どうもごちそう様でした。また来ます」
 頭を下げた朗を、直見が同情のこもった目で見上げた。
「頑張ってね。君達はまだ若いから、きっと大丈夫よ」
「そうですね、頑張ります」
 やっとの思いで、朗は答えた。


 三人は、大草原に現れた。そこは、寮から二〇〇メートルほど離れた場所だった。
 寮から伸びたまっすぐな道の向こうに、うっそうと茂った森が見える。その道の脇に台があり、その上には小さな呼び鈴がひとつ置かれていた。その横に、金属のボードに掘り込まれた注意書きがある。美弦が台に近づき、読み上げた。
「えっと。『ご用がある方は呼び鈴を二回鳴らして下さい』だって」
 顔を上げた美弦が、朗に目を向けた。
「こんなところで誰を呼ぶの?」
「誰っつうか人じゃない。『移動図書館』だ」
「移動図書館?何それ」
その疑問にあえて答えず、朗は美弦の両肩に手を置いた。
「おまえ、何かすごく体力ありそうだよな」
「た、体力?」
 戸惑った表情で、美弦が頷いた。
「まあ、それなりに」
「よし。期待してるからな」
 朗は、淳に視線を移した。
「まず俺が追いこむ。おまえ達はとにかく、一刻も早く捕まえてくれ」
「努力はする」
 言葉少なく、淳が頷いた。
「じゃ、始めよう」
 二人に背を向け歩き出した朗の腕を、美弦がつかんで引き止めた。
「ちょっと待ってよ、一体何するの?」
「うーん。なんつうかまあ、あれだ」
 頭をかきながら、朗は答えた。
「とにかく、これから現れる奴を俺達三人が協力して捕まえる。それだけの事だ」
「何だかよく分かんないけど。まあ、捕まえればいいのね?」
「そうそう、捕まえればいいの。じゃ、頼むぞ」
 首をかしげている美弦に背を向けて、朗は走り出した。
 二人との距離を十分に取ってから、朗は淳に向かって声を掛けた。
「よし、始めてくれ!」
 小さく手を上げて答えた淳が、台の上の呼び鈴を二回鳴らした。
 その途端、空中に小型のバスが現れた。バスはそのまま、大きな音を立てて地面に着地した。
 黄色いバスの横腹に、真っ赤な字で「移動図書館」と書かれてある。ふいに、頭についているスピーカーから明るく呑気で親父っぽい声が響き始めた。
「え、毎度ぉ。あ、お馴染みのぉ。え、移動図書館でぇ。あ、ございますぅ」
 陽気にぶるぶると車体を震わせている図書館を、朗はうんざりと眺めた。
「あの意味なく能天気な感じがたまらなく頭に来るんだよな」
 ふうっと大きくため息をついてから、朗はゆっくりと走り始めた。
 次第に近づく朗に、図書館のライトがくりっと向けられた。そして、走り出した。
「え毎度ぉ。あお馴染みのぉ。え移動図書館でぇ、あございますぅ」
 スピードを上げると共に、図書館の声が次第に早まって行く。どうやら、走りと声の速度は連動するらしい。
 朗の追い込みにより、図書館が次第に美弦と淳に近づきつつあった。事態を把握したらしい美弦が図書館の横を走り、いきなり飛び掛った。同時に、図書館がくるりと向きを変えた。
「え毎度お馴染みのぉ、え移動図書館でございますぅ」
 空振りして地面を転がった美弦が、悔しそうに声を上げた。
「何あいつ!ものすごく腹立つんだけど」
「分かっただろ、俺達が嫌がってたわけが」
 大声で答えながら、朗は身をくねらせて走る図書館の後を追った。
 三対一の戦いであるにも関わらず、圧倒的に図書館の方が余裕だった。地面に座り込んでしまった三人と距離を置きつつ、図書館が気持ちよさそうに声を張り上げた。
「え、毎度ぉ。あ、お馴染みのぉ。え、移動図書館でぇ。あ、ございますぅ!」
 肩で息をしながら、淳が呟いた。
「あいつ、いつかぶっ壊す」
「ねえ、二人はこれまでにあれを捕まえた事あるの?」
 図書館を睨む美弦に答えながら、朗はその場に寝転んだ。
「ない。一〇連敗はしてる」
「勘弁してぇ」
 美弦が、力尽きたように倒れた。
「とにかく、まともな方法じゃ捕まえられないと思うんだけど」
「だよなぁ」
 頷いた朗に、淳が苦しげな目を向けた。
「ひとつだけ、考えがあるんだが」
「お、さすが。で、どんな手だ?」
 その質問を、淳が無視した。
「考えはある。ただ、この作戦がもし失敗したら後がないだろう」
「ほお。で、成功率は?」
「それは、おまえ次第だ」
「……もしかして、全ての責任を俺になすりつけようとしてないか?」
「朗君、そういうひねくれた考え方はよくないぞ」
 真剣な顔で言いながら、淳が朗の肩に手を置いた。


 淳の計画によって、三人は行動を開始した。
 図書館がよそ見をしている隙に、朗はこっそりと森にある木に登った。その木の真下には、草原との境目の一本道がある。その道上の、朗の潜む木から一〇〇メートルほど離れた場所に、美弦が立った。
 二人の位置を確認してから、草原側にいる淳が走り始めた。淳にライトを向けた図書館が、背を向けて動き出した。
「え、毎度ぉ。あ、お馴染みのぉ。え、移動図書館でぇ。あ、ございますぅ」
 淳の誘導により、図書館はまっすぐに美弦に向った。それを見ながら、朗は呟いた。
「頼むぞ、美弦。森に逃げ込まれたらアウトなんだからな」
 森を背にした美弦が、緊張した面持ちで図書館の前に立ちはだかった。
「ストップ、ストップ!」
「おおっとぉ。え毎度お馴染みのぉ、え移動図書館でございますぅ」
 美弦を避けた図書館が、そのまま後ろに回りこんで森にライトを向けた。
「そっちに行っちゃ駄目!」
 叫んだ美弦が走り出し、図書館の進路に飛び出した。
「おおっとっとっとっとっと!」
 急ブレーキを掛けた図書館が、美弦を避けるように向きを変え、走り始めた。
「よっしゃ」
 小さく呟いた朗は、枝の隙間から下の道を見下ろした。草原と森の間を走る図書館の声が、次第に近づいてくる。
「え、毎度ぉ。あ、お馴染みのぉ。え、移動図書館でぇ。あ、ございますぅ」
「もらった!」
 図書館が真下を通った瞬間、朗はその屋根に飛び乗った。
「なにおぅ?え毎度ぉ。お馴染みのぉ……」
 図書館が、びっくりしたように蛇行した。振り落とされないように窓枠をつかんだ朗は、そのままするりと車内に滑り込んだ。
 車内は意外と広々していて、備えつけられている本棚にはぎゅうぎゅうに本が詰められている。朗は運転席に目を向けた。ハンドルの横に、丸くて赤い、大きなスイッチがあった。
「絶対これだな」
 そのボタンに歩み寄った朗は、力いっぱい押した。
「うう!毎度ぉ、お馴染みのぉぉぉぉ……」
 とどめをさされた図書館がスピードを落とし、やがて止まった。
「勝った」
 呟いた朗は、そのまま運転席に崩れ落ちた。
 しばらくして、美弦と淳がふらふらと近づいて来た。タラップを這い上がって来た美弦が、近くの座席に倒れこみながら訊ねた。
「ねえ、何で調べものするためにこういう苦労をしなきゃいけないの?」
 美弦に続いて這い上がってきた淳が、床に転がりながら答えた。
「この図書館は、この大学の教育方針に基づいて作られたんだ」
「教育方針って、何?」
「文武両道」
「……あ、そう。ものすごく分かりやすいね、それって」
 美弦が、力なく呟いた。
 何とか回復した三人は、図書館中をくまなく調べてようやく目的の本を見つけ出した。
「さ、帰ろう帰ろう」
 重たい本を抱え込んで、朗はさっさと図書館の出口に向かった。目をこすりながら、美弦が後に続いた。
「私、帰ったら死んだように眠る」
 更に後に続きながら、淳が腹をさすった。
「俺は、とにかく力いっぱい食う」
 全員が外に出た瞬間、図書館がぶるんと体を震わせた。
「え、またのお越しをお待ちしておりますぅ」
 振り向いた三人の言葉が、きっちりと重なった。
「いや、もう絶対来ないから!」
 そしてよろめきながら、三人は寮へと戻って行った。






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