SHAKE! 
7th stage


  七、


   扉を使って、三人は理事長宅の居間に現れた。
 八畳ほどの部屋には、ほとんど家具がなかった。もっとも目に付くのはよくみがかれた食器棚で、その上には紙で織られた手毬や傘が飾ってある。赤味かかった蛍光灯が部屋全体を照らしていて、その真下には古いけれど清潔なちゃぶ台が置かれていた。
 ちゃぶ台の前に座った朗は、台所に向けて声をかけた。
「なぁ、ばあちゃん。飯まだ?」
「今用意してる。もう少し待ってな」
 台所から現れた理事長が、ちゃぶ台の上に焼き魚を置いた。
「あんた達もお座り。今、ごはんをよそうから」
「はい、ご馳走になります」
 淳が朗の隣に座った。
「あ、あの。おばあちゃん」
 おひつに向かう理事長の前に、美弦がしゃがみ込んだ。
「昨日はごめんなさい。話もしないで逃げちゃったりして」
「ああ、そんなの別にいいんだよ」
 ふっと笑ってから、理事長がちゃぶ台を示した。
「いいから早く座んなさい。ご飯大盛りにしとくから、残さず全部食べるんだよ」
「うん、分かった」
 にっこりと頷いてから、美弦が淳の隣に腰を下ろした。
 そこに広がっているのは、典型的な日本の朝食だった。とうふとワカメの味噌汁。
大きくて身の厚いあじのひらき。小鉢に乗った生卵。きゅうりとなすの漬物。そして、白くつやつやと輝いているごはん。
 美弦の横で箸をつかんだ淳が、軽く手を合わせた。
「いただきます!」
 もの凄い勢いで食べ始めた淳を、美弦がびっくりしたように見つめた。
「すごーい。淳、男の子だねぇ」
 空になった茶碗を理事長に差し出してから、朗は美弦のあじの皿を取り上げた。
「おまえ、食わないの?もらっちゃうよ、これ」
「食べます、取らないでよ!」
 朗から皿を奪い返して、美弦は手を合わせた。
「いただきます」
 せかせかと食べ始めた美弦を見て、理事長が目を細めた。
「そうそう、さっさと食べちゃいな。朝の食卓は戦場なんだよ」
 あじをつついていた淳が、ふと顔を上げた。
「おい、そう言えば、俺達がここに来たのは飯食うためじゃないだろう」
「あ、そうだったそうだった」
 味噌汁を飲んでいた朗は、理事長に目を向けた。
「俺達、聞きたい事があるんだけど」
「ああ、分かってるよ」
 頷いた理事長が、三人の前に座り直して湯飲みを持ち上げた。
「先に一通り話すよ。ご飯食べながらでいいから、しっかり聞いてるんだよ」
 お茶を一口飲んでから、理事長が話を始めた。


 理事長の話のポイントは、大きく分けて三つあった。
 裏の世界に飛ばされるのは「特別な力」を持つ者だけだという事。以前より満から相談を受けていたという事。そして、元の世界に戻る方法を明確に知っているわけではないという事。
 食後のお茶を飲みながら、朗は尋ねた。
「方法を知らないって、じゃ、どうやって戻って来たんだよ」
「私は待っていただけだよ。帰るために何か出来るのは、こっちの世界だけだから」
「え、そうなんだぁ」
 思いがけない答えを聞いて、朗は途方に暮れた。
「まいったなぁ。俺、ばあちゃんなら何でも知ってると思ってたよ」
 淳が、理事長に声を掛けた。
「とりあえず、俺達は何をしたらいいんでしょう」
「そうだね、一度、道矢(みちや)のところに行ってみちゃどうだろう。あの子は裏の世界の研究をしてたはずだよ。何か知っているかも知れない」
「あ、なるほど」
 朗はぽんと手を打った。
「道矢先生ね。その案いただき」
 美弦が、淳に尋ねた。
「道矢先生って、誰?」
「武術を教えてくれている先生。いい人だよ」
「変な人だけどな」
 口を挟んでから、朗は理事長に目を戻した。
「ところでさぁ、満はあんたにどんな相談をしてたんだ?」
「ああ」
 空になった朗の湯飲みに、理事長がお茶を注いだ。
「あの子はね、自分の持つ特別な力について調べてたんだよ。そのうちに、裏の世界に飛ばされた者と特別な力を持つ者の因果関係に気がついた。で、私のところに来たんだ」
「あ!もしかして、満が言ってた『未来を見せられる人』って、あんたの事か?」
「そうだね。そりゃ、私の事だよ」
 あっさりと頷いた理事長に、朗は不満をぶつけた。
「何だよそれ。そんな話聞いた事ねぇぞ」
「ありゃりゃ、言ってなかったっけね。そりゃ悪かったねぇ」
「すっとぼけやがって。これだから年寄りは……」
 涼しい顔でお茶をすする理事長を前に、朗はぶつぶつと呟いた。
 美弦が、理事長に声を掛けた。
「ねえ、おばあちゃん。おばあちゃんに頼めば、未来を見せてもらえるの?」
「お、そりゃいい考えだな」
 朗は身を乗り出した。
「未来を見たら帰る方法も分かるもんな。ばあちゃん、早速見せてやってくれよ」
 朗を無視して、理事長が美弦を見つめた。
「未来を見たいのかい?」
 美弦がうつむいた。
「ううん、やっぱりいい」
「そうだね、見ない方いいと私も思うよ」
 ふいに、美弦が食器をつかんで立ち上がった。
「どうもごちそう様でした。後片付けは私がやるね」
 そのまま台所に向かった美弦を見て、朗は慌てて立ち上がった。
「おいおい、ちょっと待てって」
「あ、朗。こっちに来るならみんなの食器持ってきてね」
「あ、はい」
 素直に頷き食器を持ってから、朗は台所に向かった。
 台所では、腕まくりした美弦がすでに洗い始めていた。その横に食器を積んでから、朗は美弦の背中に声を掛けた。
「なあ、何で見ないんだよ」
「何を?」
「何をって、未来をだよ」
「だって、見たくないんだもん」
「『見たくないんだもん』とか、そういう問題じゃねぇだろ」
「嫌なものは嫌なの。ほっといてよ」
「おまえなぁ。いいから話聞けよ」
 手を止めない美弦にいらだち、朗は水道の水を止めた。
「一番話が早いじゃねぇか。未来を見れば、これから何をすればいいか全部分かるだろ?」
「そうだけど、分かってるけど」
 美弦が、朗を見上げた。
「でも、恐いんだもん」
「恐いって、何が?」
「私、朗を信じてるよ。元の世界に戻れるって思ってる。でも、未来は見たくないの。だって、もしそれがつらい結果だったら私、何も出来なくなっちゃう。未来に押しつぶされちゃうもん。だから」
 言葉を切って、美弦が目を伏せた。
「ごめんね。私、未来は見れないよ」
「いや」
 朗は首を振った。
「俺こそ、ごめん」
「……ううん」
 小さく鼻をすすった美弦が、顔を上げて笑った。
「さて、早いとこ洗っちゃおうっと。ねえ、お皿拭いてくれる?」
「あ、ああ」
 頷いて、朗は傍らにある皿に手を伸ばした。が、慌てていたために手を滑らせた。
がちゃんと破壊音が響くと同時に、理事長と淳が台所に駆け込んで来た。
「何やってんだい!高いんだよ、その皿は」
「あーあ。まったく、どうしようもないな、おまえは」
「もう!朗ったらお皿拭きも出来ないの?」
「す、すいません!」
 同時に責め立てられて、朗は慌てて破片を拾った。美弦がその手を止めた。
「いいよ、私がやるから。おばあちゃん、何か袋ある?」
「ああ、今持ってくる。美弦、気をつけなよ」
「うん、大丈夫だよ」
 きびきびと働く美弦を見て朗はほっとした。「皿拭きも出来ない人間でよかった」
と、ふと思った。


 無事に片づけを済ませてから、三人は目的地である家に向かった。
 その家は、大学の敷地内の草原の中にぽつんと建てられていた。ごくごく一般的な日本家屋が、二メートルほどの高さの塀に囲まれている。庭にある背の高い木の枝が、何本か外に飛び出していた。
 美弦が、ぐるりと辺りを見渡した。
「何だかこの家、ものすごく浮いてるね。教授って、宿舎とかに住んでるんじゃないの?」
「んなもんねぇよ。みんな好きなところに好きなように家建ててんだよ。なんせ敷地は恐ろしく広いしな」
 門柱を開けた朗は、三歩ほどしてぴたりと足を止めた。
「どうしたの、入らないの?」
 美弦の問いに、朗は小声で答えた。
「いや、どうやら先生、瞑想中らしい。もうちょっと後にしよう」
「ふーん、瞑想中ね。どれどれ」
 美弦が門柱から首を覗かせた。そして、そのまま固まった。
 しばらくして、朗はぽんぽんと美弦の肩を叩いた。
「おい、どうした?」
「あの、訊いてもいいかな?あの人、なんであんな格好してるの?」
「ああ、あれね。俺らにとっても謎なんだよなぁ」
 苦笑いしながら、朗は庭を覗いた。
 そこでは、胴着を着ている道矢がいつも通りの座禅を組んでいた。いつも通りに頭だけを地面につけ、そこを支点とした逆さ座禅を。
 朗の後ろで、淳が深く頷いた。
「確かに、あの座禅は謎だ」
「不気味……。夢に出てきそう」
 恐いもの見たさなのか、美弦が怯えながらも道矢を覗き込んでいた。と、閉じられていた道矢の目が突然開かれた。
「悪かったな、不気味で」
「きゃっ!」
 美弦が、小さく叫び声を上げた。その美弦を後ろ手に隠して、朗は笑顔を作った。
「あ、さすが先生。気がついてましたか?」
「うん、まあな」
 答えた道矢が、組んでいた足を解いて直立姿勢を取った。と、いきなり首ががくっと後ろに曲がった。その反動を利用して、道矢の体が何度か地面をバウンドし、最後に大きく跳ね上がって足から着地した。
 その全てを見てしまった美弦が、朗の後ろで声を震わせた。
「こ、恐い。恐過ぎる」
「まあまあ、あんまり言うとあの人落ち込むから」
 怯える美弦をなだめてから、朗は庭に入っていった。
「あの、先生。ちょっとお時間頂けますか?」
「ああ、いいだろう」
 頷いた道矢が、美弦に目を向けた。
「だがその前に。お嬢さん、ちょっとこっちに来なさい」
「え、私、ですか?」
 美弦が、助けを求めるように朗を見上げた。気まずい思いで目を逸らしながら、朗は美弦の背をそっと押した。
「大丈夫だから。取って食われたりしないから」
「う、うん」
 美弦が、恐る恐る庭に足を踏み入れた。
 道矢との距離が三メートルほどになったところで、美弦が立ち止まった。
「ふむ……」
 じっと様子を見つめていた道矢が訊ねた。
「君が、満の片割れか」
「そう、らしいですね」
「名前は?」
「美弦です」
「美弦、か。なるほどな」
 うんうんと頷いた道矢が、突然地を蹴った。
 道矢の鋭い手刀が横殴りに美弦に向けられる。同時に、美弦がその場にしゃがみこんだ。すかさず、道矢が頭上目掛けて肘を突き降ろした。その瞬間に美弦の足が地を蹴り、大きな弧を描きながら道矢の元いた場所に着地した。
「やはりな」
 立ち上がりながら、道矢が口を開いた。
「君は、人の気配が読めるんだな」
「はい、多少は」
「いつからだ?」
「いつからって……」
 少し考えてから、美弦が答えた。
「思い出せないくらい昔から、です」
「そうか」
 その返事を聞いて、道矢が笑顔を浮かべた。
「手荒な真似をして悪かったな。さあ、入りなさい。中で話を聞こう」
 連れ立って家に向かう二人を見て、朗はようやく正気に戻った。
「ちょっと、先生!何ですか、今のは」
 声を荒げる朗を、美弦が振り返った。
「ああ、いいから。気にしないで」
「何言ってんだ!初対面の人間にいきなり襲い掛かるなんておかしいだろ」
「本当にいいんだってば。私には、今の行動が分かるから」
 美弦が、なだめるように朗を見上げた。
「先生は、私を見て何かを感じたんだと思う。で、認めてくれたんだよ」
「は?」
 朗は、思わず首を傾げた。
「何それ、どういう意味?」
「まあ、いいからいいから。さ、話しに行こう」
 朗の肩をぽんぽんと叩いてから、美弦が家に入って行った。
 しばらくして、朗は淳を振り返った。
「おまえ、今の意味分かった?」
「全然。でも、いいんじゃないの。本人が気にしてないんだから」
 朗の横を通り過ぎながら、淳がにやりと笑った。
「おまえもさ、そろそろ腹くくれよ。美弦はたぶん、普通の女の子じゃないぞ」
「バカ言うな、あいつは普通だ。……たぶん」
 家に入る淳を見送りながら、朗は呟いた。






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