四、
淳の指示の元、三人は手を繋ぎ合った。
「じゃ、行くぞ」
二人を見渡してから、淳が目をつぶった。途端に、三人は寮の前に現れた。
「なんで?」
美弦が、きょろきょろと辺りを見渡した。
「なんでいきなり建物が?」
「そうじゃなくって」
笑いながら、淳が美弦に目を向けた。
「俺の力でここに飛んできたんだよ。瞬間移動って奴」
「すっごぉい」
感動した様子の美弦を見て、淳が表情を緩めた。
「いや、そんなに感心してもらうほどの事じゃ」
美弦が、勢いよく言葉を続けた。
「私ってばすごい!こんなおもしろい夢を見るなんて!」
「ああ、そう来たか」
淳が、ぽつりと呟いた。
「まあまあ、仕方ないだろ。こいつにとっては全部夢でしかないわけだし」
笑いをこらえながら、朗は淳を慰めた。
寮のあちこちに目を向けていた美弦が、朗を振り返った。
「ねえ、朗」
初めて名前を呼ばれてどきっとしながら、朗は振り返った。
「な、なんだよ」
「ここって、二人が住んでる寮でしょ?」
「ああ」
美弦が、にっこりと寮を見上げた。
「なんか、すごく雰囲気いいね。こういう木造の建物、久しぶりに見る」
目を戻しながら、美弦が朗の腕をつかんだ。
「ねえ、早く中に連れてって」
「いいけど。でもちょっと手、離してね」
かなり照れくさくなって、朗は美弦の手を振り払った。
寮の中を歩きながら、美弦がきょろきょろと辺りを見渡していた。
「ねえ、ねえ。あの部屋は何?」
「あれは洗濯室。というか、おまえはもっとしっかり前を見て歩け」
「えー、いいじゃない、きょろきょろするくらい」
「別に面白いもんなんてねぇだろ?」
「うん、まあね」
頷いた美弦が、朗を見上げた。
「でもね、なんか私がいる寮にとっても似てるの」
朗は思わず、美弦から目を逸らした。
「ああ、そうなんだ」
「うん。それにね、実は私の友達にもいるんだ。晶(あきら)って子が。あと、淳子(じゅんこ)って子も。やっぱり、この辺の重なり具合が夢って感じだよね」
「まあ、そうだね」
やはり目を逸らしたまま、朗は頷いた。「夢だ」という言葉を信じる美弦を見るのが、いい加減つらくなってきた。
「ここが俺の部屋だ」
とりあえず何も考えないようにしながら、朗はドアを開けた。部屋に入った美弦が、あちこちを見渡した。
「わあ、中もいい感じ。結構片付いてるんだね」
「同室の奴がきれい好きでな」
「ふーん、なるほど。あ、二段ベッド!」
自分のベッドのカーテンを開けようとする美弦を、朗は止めた。
「おいおい、人のベッドを勝手に覗くなよ」
「なんで?いいじゃない、ちょっとくらい」
「駄目。プライバシーの侵害だってば、それ」
「あれれ?怪しいなぁ」
断固として止める朗を見て、美弦がにやりと笑った。
「もしかして、なんか変なものでも隠してる?」
「なんだよ、変なものって」
「うーん、その辺はよく分からないけど。私、女だし」
「……おまえねぇ、年頃の女がなに言ってるの?」
「やだ、冗談だってば。そんなに動揺しないでよ」
ぽんぽんと朗の肩を叩いてから、美弦が窓の外に目を向けた。
「うわっ、すっごい景色!道挟んで全然違うよ、何で?」
がらりと窓を開けて、美弦が身を乗り出した。ひとつに束ねてある黒髪が、風に流れて大きく波打った。その背中を見て、朗は急に激しくなる鼓動を感じた。
今、俺達は二人きり。
ごくりと唾を飲み込んで、朗は一歩足を踏み出した。途端に頭を叩かれた。
「痛っ!」
振り返った朗は、そこに淳を見つけた。
「なんだ、おまえいたの」
がっかりした朗に、淳が探るような目を向けた。
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫かって、何が?」
「一応、忠告しておくぞ。おまえ、美弦に惚れるなよ」
「な……!」
思わず声を詰まらせながら、朗は額に浮かんだ汗を拭った。
「何を言い出すんだ君は!いくら僕でもそのような事は絶対にだなぁ」
「本当に分かりやすい男だな、おまえって」
「……どうしよう、俺やべぇよ」
朗は、淳の腕をつかんだ。
「あいつ、すげぇ好みなんだよ。最初に夢で見た時から『可愛い』って思ってたんだけど、今こうしてじっくり見てると余計にこう、いろんな気持ちがあふれ出して」
「見境ないな、おまえは」
淳が、呆れたように朗を見た。
「まあ、落ち着け。いくら好みでも、あれは満の片割れだ。何かあったりしたら気持ち悪いだろ?」
「いや、その意見には納得がいかない」
朗は、力いっぱい首を振った。
「気持ちいいに決まってるじゃないか、何かあったら。それは、誰が相手でも」
「おまえ、人として最低だぞ、そのセリフ」
「とにかくだ!」
きっぱりと、朗は言葉を続けた。
「俺の理性が少しでも残ってるうちに、あいつを目の届かないところに連れて行ってもらおう。それしかない」
「ねえねえ、何の話?」
美弦が、朗の顔を覗きこんだ。
「おまえ、いつの間に!」
飛び退る朗を見てため息をついてから、淳が美弦に笑顔を向けた。
「何でもないよ」
「そう?でも、なんだか朗の様子が変だけど。妙な汗かいてるし」
「み、美弦」
口ごもりながら、朗は美弦に強張った笑顔を見せた。
「おまえ、のど渇いてないか?」
「うーん。そう訊かれると、渇いてるような気がしないでもないけど」
「そうだろう、そうだろう。よし、このみかんを君にあげよう。だから大人しくそのコタツに入って食べたまえ、みかんを。思う存分」
「うん、ありがとう」
首を傾げながらも、美弦は大人しくコタツに入り、みかんを取り上げた。その様子を確認して、朗はそっと汗を拭った。
「ふう、危ないところだった」
淳が、ぽつりと呟いた。
「理性がない人間って苦労するんだな」
「ああああ、何とでも言ってくれ。どうせ俺はけだものだよ」
憮然として答えた朗は、美弦を避けて部屋の片隅に腰を下ろした。
その時、廊下にあるスピーカーから声が響いて来た。
「片岡満くん、片岡満くん。至急理事長室までお越しください。前島朗くんと谷中淳くんも同行するようお願いします」
「よっしゃ、来た!」
朗は思わず指を鳴らした。
「美弦、来い!」
「えー、せっかくみかん食べ始めたのに」
「後で山ほど食っていいから、とにかく今は来い!」
朗は、美弦の腕をつかんで立ち上がらせた。しぶしぶと従いながら、美弦が朗を見上げた。
「で、どこ行くの?」
「扉だ」
「扉?」
呟いた美弦が、部屋のドアを指差した。
「扉?」
「違うだろ、これはドアだ」
あっさりと答えながら、朗はドアを開けて廊下に出た。その後ろに続きながら、淳が美弦に言葉を掛けた。
「あのね、扉っていうのは俺らの通称なんだよ。それを開けたら、どこにでも行けるんだ」
「どこにでも?」
「ああ、大抵のところならね」
話をする二人の前を黙々と歩いていた朗は、廊下の突き当たりで足を止めた。そこにあるのは、大きな両開きの扉だった。振り返って、朗は美弦に目を向けた。
「美弦、ちょっとその扉を開けてみな」
「うん」
こっくりと頷いて、美弦が片方の扉を開けた。そこには、木造の壁があるだけだった。
「壁だよ」
「壁だよな」
頷いて見せてから、朗は一旦扉を閉めた。
「だけど、こうやったら壁じゃなくなるんだよ」
こほんと咳払いをして、朗は扉を三回ノックした。
「片岡満と付き添い二名。理事長室に入ります」
朗は勢いよく扉を開けた。そこにはすでに壁はなく、がらりと開けた一室が三人の前に広がっていた。
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