SHAKE! 
Second stage


二、

 三人の住む男子寮は、木造の建物だった。よく言えばとても趣きのあるその寮には、二〇〇人近い人間が住んでいた。寮にある部屋は約一〇〇。よって、ほとんどの学生が同室を余儀なくされている。
 朗と同室なのは満だった。
 部屋は、六畳一間と広くはない。その中に、二段ベッド、机が二つ、タンス、小さなコタツが所狭しと並んでいた。
「やぁれやれ。疲れたなぁ、今日の試験は」
 ベッドに倒れ込みながら、朗は大きく息をついた。満が、朗のベッドを覗き込んだ。
「もう夕食の時間だけどどうする?少し休んでる?」
「いや、行く。疲れた分、腹減った」
 むっくりと、朗は起き上がった。
 部屋を出て、二人は食堂に向かった。四階建ての建物の一階に食堂がある。二人が着くと、すでに八割方の席が埋まっていた。
 厨房の前に立った朗は、他人のトレーを覗き込んでからため息をついた。
「なんだよ、また野菜炒めか」
 厨房から覗いた顔が、朗を睨みつけた。
「なんだい、文句があるなら食べないでいいんだよ」
「嫌だなぁ、おばさん。文句なんてとんでもない。だから、せめて大盛りにしてね」
 朗は笑顔を振りまいた。
 トレーをテーブルに置きながら、朗はすでに食べ進めている淳に目を向けた。
「相変わらずよく食うなぁ、そんなに細い体のくせに」
「力を使った日は特に腹が減るんだよ」
 勢いよく茶碗を空にしながら、淳が答えた。
「それでもおまえの半分しか食ってないけどな」
「そりゃ、おまえ。そもそも体の大きさが違うだろ」
 席についた朗は、淳に負けない勢いで皿を空け始めた。二人よりも先に食べ終わった淳が、満に目を向けた。
「全然食ってないじゃないか。どうした?」
「うん、あんまり食欲がなくて」
 小さく答えてから、満が顔を上げた。
「ねぇ、朗」
「ん?」
 続けて食べ終わり、朗はお茶に手を伸ばした。
「なんだよ」
「今日、朗が見た夢の事だけど」
「……ああ」
 朗は目を逸らした。
「もう忘れてくれよ、それ。なんか気まずくなるから」
「まったくだ」
 淳がうんうんと頷いた。満が言葉を続けた。
「でも、僕の顔をした女の子は、確かにこの世にいるわけだし」
「おまえ、『裏の世界』の事言ってるのか?」
「うん」
 淳の言葉に満が頷いた。その横で、朗は小さく呟いた。
「ああ、裏の世界ね。すっかり忘れてた」
 裏の世界。それは、朗のいる世界の中ではすでに常識とされている存在だった。この世界と水平に進化している世界。表であるこの世界の人間は、その存在をかなり昔から知っていた。しかし、裏の世界の人間は表の世界を知らない。
 表の世界の人間には、特殊な能力が生まれつき備わっている。だが、裏の世界には力を持つものはいないとされている。例えいたとしても、人目を恐れて隠しているのだろう。このように、二つの世界には様々に違う点が見られるが、その中でも一番の違いはそれぞれの人間にあった。
 性別と性格。その二つが、表と裏ではまるで正反対になる。しかし家柄や家系は共通しているらしい。その点が、大きな謎と言えば謎だった。
 朗は、空になった湯飲みにお茶を注いだ。
「じゃあ、おまえは俺が裏の世界のおまえを見たってのか?」
「それは分からないけど」
 満が目を伏せた。
「そう言えば、明日はおまえの誕生日だったな」
 淳が口を挟んだ。
「二〇歳の誕生日に表と裏の人間が入れ替わる。そういう話もあるよな」
「馬鹿言うな」
 朗は思わず笑ってしまった。
「ありゃもう伝説だよ。最後に人が入れ替わってから半世紀以上経ってんだぞ」
「ああ、そんなに経ってるんだっけ」
 淳が朗に目を移した。
「そう言えば、最後に入れ替わったのはおまえのばあさんだったな。小学生の時の教科書に載ってたぞ」
「まあな」
 淳の言葉を受け流してから、朗は満に目を戻した。
「とにかく、俺が見たのは単なる夢だ。気にするなって」
「うん、そうだね」
 答えた満が、どこか暗い顔で目を逸らした。


 夜中。寝ていた朗は、がばっと体を起こした。
「ったく。なんだっつうんだ、この夢は」
 夢を見始める時と覚める時に感じる、何かに引っ張られるような感覚。朗の体に浮かぶ汗はそのためのものだった。小さく頭を振ってから、朗はベッドを抜け出した。
そっと窓を開けた朗は、冷たい空気を感じながら外に広がる風景を見つめた。
 大学の敷地の真中。そこに寮があった。寮の入り口からまっすぐに伸びた道が、地平線の彼方まで続いている。その終点には大学の校門があるはずだ。その長い道を挟んだ形で、まったく違う風景が広がっている。
 朗の部屋から見た右側。
 そこは、昼間いた果てしない草原だった。青々とした草が風で流され、ざわざわと湿った音を立てている。月の光が、余すところなくその全景を照らし出していた。
 朗の部屋から見た左側。
 そこは、うっそうとした森だった。暗い影を背負ったたくさんの樹木が、折り重なるように根を張っている。月の光すら届かない濃い闇を、その森は作り出していた。
 いつもと変わらない退屈な風景。しかし今の朗は、その光景に少しだけ慰められていた。
 ふいに、上段のベッドから声が聞こえた。
「朗、起きてるの?」
「ああ」
 ぎくりと体を震わせて、朗は振り返った。ベッドについているカーテンを開けて、満が姿を現した。
「もしかして、またあの夢?」
「違うよ」
 窓の外に目を戻しながら、朗は答えた。満が、はしごを降りて窓に歩み寄った。
「朗」
「ん?」
「ひとつ、お願いしたい事があるんだ」
「なんだよ、お願いって」
「えっとね」
 少し口ごもってから、満が言葉を続けた。
「もしも、僕が裏の世界に行ったら」
「行くわけねぇだろ」
 朗は即座に、満の言葉を遮った。
「もう何十年も、誰も行ってねぇんだってば」
「分かってる。だから、これは冗談だと思って聞いてほしいんだ」
 諦めて、朗はため息をついた。
「なんだよ」
「もし僕が裏に行ったら。そしたら、こっちに来るもう一人の僕の事、よろしくね」
「よろしくって、どういう意味だよ」
「あの子は、なんだかんだ言っても女の子だから。だから、びっくりして泣いちゃったりすると思うんだ。その事がとても心配なんだけど。でも」
 言葉を切った満が、朗を見つめた。
「朗になら、あの子を任せられる気がする」
「なんだよ、それ」
 朗は、思わず笑ってしまった。
「おまえ、裏の自分の事、知ってるのか?」
「うん」
 満が頷いた。
「二人には言ってなかったけど、僕には『特別な力』がある。それを使うと、向こうにいる自分を見る事が出来るんだ」
「……おい」
 満の真剣な表情につられて、朗は立ち上がった。
「おまえ、まさか本当に?」
 満が、にっこりと微笑んだ。
「だから、全部冗談だってば」
 しばらく黙って満を見つめていた朗は、やがて怒りの拳を振り上げた。
「てめぇ、いい度胸してるじゃねぇか!」
「まあまあ、落ち着いて」
 朗の手を避けながら、満が笑った。
「ちょっとは退屈しのぎになったんじゃない?」
「ふざけんな!俺は今、本気で心配したんだぞ」
「ごめんごめん、僕が悪かったってば」
 取り成すように言いながら、満がすばやくベッドに戻って行った。
「朗も早く寝た方がいいよ、追試がきつくなるから」
「うるせぇ、ほっとけ」
 不機嫌な表情で、朗は再び窓の外に目を向けた。結局、朗はその場で夜明けまでを過ごした。


 次の日。朗達三人は再び洞窟の中に入った。それぞれの位置を確認しながら、三人は暗い洞窟を進んだ。
 しばらくして、三方向に分かれる道に出た。淳が、隣にいる朗の顔を見上げた。
「奴らの気配は?」
 朗は目を閉じ、眉間に力を入れた。
「右に三匹、左に五匹、真中に一匹だ。俺は左に行くぞ。昨日の雪辱を晴らさなきゃ気がすまん」
「じゃあ、俺は右に行こう」
 淳が振り返り、後ろにいる満に目を向けた。
「おまえは真中だ。ここを通り抜けたらまた道が一つになる。そこで合流しよう」
「分かった」
 頷いた満が、背中にかついだ剣を握り締めた。その肩を、朗は軽く叩いた。
「満、一匹だ。頑張れよ」
「うん」
 答えた満が、二人を見上げた。
「二人共、元気でね」
「おいおい、永遠の別れみたいに言うなよ」
 その言葉を受け流し、満が真剣な目で朗を見つめた。
「朗、もう一人の僕をよろしくね」
「満……」
 自分に向けられた目に何かを感じて、朗は満を見つめ返した。その視線を振り切るように、満が背を向け走り出した。真ん中の道に駆け込んだ満の姿が、濃い闇に紛れた。
「さぁ、俺達も行くぞ。こんな試験なんてとっとと終わらせようぜ」
 のんびり言ってから、淳が右側の道に消えていった。胸を過ぎる不安をかき消しながら、朗は左の道に入って行った。
 ますます広がる濃い闇の中を、朗は慎重に進んだ。何故だか自然に足が速まる分、朗の集中力は研ぎ澄まされていた。
 ふと、隣の道からか細い悲鳴が響いて来た。
「満!」
 はっと顔を上げた朗は、そのまま勢いよく走り始めた。途中現れた幻獣を、朗はかき分けるようにして始末した。全ての幻獣が宙に散ったのを確認してから、朗は再び走り始めた。
 三つの道が合流する場所に出て、朗は目を凝らした。真中の道を出たところで、誰かが座り込んでいる。その人物を見て、朗はめまいを感じた。
 その場にいる者は満の姿に似ていたが、すでに満ではなかった。




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