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六、

 暗い道を、二人はゆっくりと歩いていた。

 沙知の心の中は、いつしかとても静まっていた。

 あんなに話したかった、そばに駆け寄って行きたいと思っていた相手が今、目の前を歩いている。さっきまで、新の姿が目に入るたびにたくさんの言葉が心に溢れ出し、苦しくて仕方がなかった。

 でも、今はもうなんともない。新が目の前にいてくれる。自分と同じ気持ちを抱いてくれている。それだけで、もう十分だった。

 ふいに、新が小さく沙知を振り返った。

「こんな遅くまで何してたんだ?」

「えっと、……練習してた」

 沙知は、小走りで新の横に並びながら答えた。

「最近、練習に身が入らなくて、香苗とかみんなにすごく迷惑掛けてたから。だから先生につきあってもらって、自主練してたの」

「……そうか」

 呟いてから、新が小さく笑い出した。沙知は怪訝な顔をして新に目を向けた。

「どうして笑うの?」

「いや、なんか単純だなって思って。おまえも、俺も」

「……新も?」

「ああ」

 肩の力を抜くように、新が大きく伸びをした。

「俺もさぁ、最近全っ然試合にならなかったんだよなぁ。で、自主連してたってわけよ」

 上げていた腕を下ろして、新が沙知に目を向けた。

「まだ、苦しいか?」

「ううん、もう平気」

 首を振ってから、沙知は新の目を受け止めた。

「不思議だよね、あんなに毎日つらかったのに。さっき、新の気持ちが少しだけ見えた。そしたら、苦しくなくなった」

「ほう、そりゃよかった」

 軽く返事をした新に向かって、沙知は心配そうな声で尋ねた。

「新は、大丈夫?」

「ん、何が?」

「さっき『俺も苦しい』って言ってたじゃない。もう、大丈夫?」

「……俺、そんな事言ったっけ?」

 照れくさそうに目を逸らし、新が少し足を速めた。しばらくその背中を見つめていた沙知は、再び小走りになって追いつき、意地悪な表情を浮かべて新の顔を覗き込んだ。

「ちょーっとずるいんじゃないのかなぁ。自分だけかっこつけちゃって」

 かなり恥ずかしそうな様子の新が、沙知の目を避けるように大きく顔を背けた。

「……頼む。見逃してくれ」

「仕方ないなぁ。じゃあ今回だけは、見逃してあげましょう」

 偉そうな事を言いながら、沙知は思わず声を立てて笑った。

「……ありがとうございます。恩にきます」

 照れた顔をごまかすように、新がわざとぶっきらぼうな声で答えた。

 

 しばらくしてから二人は、初めて出会った場所である公園に差し掛かっていた。

 ふと、新が足を止めた。

「俺、一つ報告したい事があるんだけど」

「報告?」

 つられて立ち止まった沙知は、振り返って新に体を向けた。

「私に?」

「ああ」

 頷いた新が、沙知から視線を逸らした。

「昨日、あいつと別れた」

 少しの間言葉の意味を考えてから、沙知は静かな声で尋ねた。

「あいつって、由紀の事?」

「ああ。まあ別れたってより振られたって言った方が近いけど。それも、えらい勢いで怒られたあげくに」

「振られたって、新が?」

 首を傾げて見せた沙知の前で、新が少し笑った。

「二人で会ったのがさ、昨日で三回目だったんだよ。俺、毎回ぼーっとあいつの後ついて歩いてただけだったんだけどな。とうとうあいつに訊かれたんだよ。『私の話を全然聞いてないのはまだ許す。でも、もし違う人の事考えてるんだったら絶対許さない』ってな」

 沙知は、急に早くなってきた鼓動を感じながら、小さな声で尋ねた。

「……それで、何て答えたの?」

「『ごめん』って、謝った」

 ぽつりと答えた新の言葉を聞いて、沙知は力を込めて自分の胸を押さえた。

 沙知の様子に気がついていない振りを見せながら、新が話を続けた。

「で、その途端に俺は思いっきりぶん殴られたってわけだ。いやぁ、びっくりしたなあれは。勢いで頭が後ろに回っちゃうくらいの、いいビンタだったよ」

「……そう」

 泣き出しそうな声で呟いてから、沙知は俯き、小さく鼻をすすった。

 真剣な顔に戻った新が、まっすぐに沙知を見つめた。

「俺、色々考えた振りして、一人でかっこつけて。結局あいつの事も、自分の事も、……おまえの事も苦しめた。ごめん」

 俯いたまま、沙知は大きく首を振った。

「ううん、違う。私が、本当の気持ち言えなかったから。だからこうなったの」

 堪え切れずに泣き出した沙知の頭に、新がそっと手を置いた。

「泣くな、沙知。お互い、いい勉強になっただろう。俺は、もう二度とこんな事しないから」

 新の手のぬくもりを感じながら、沙知は声が出せない分、何度も何度も頷いて見せた。



 沙知の気分が落ち着いた頃、二人は並んでベンチに座った。

ゆっくりと息を吐いてから、沙知はしみじみと辺りを見渡した。

「この公園、毎日通ってるのに夜だと全然違うところに見える」

「ああ、そういうのってあるかもな」

 新が頷いて見せた。

「俺も昔、よくここ通ってたんだよ。でも、確かに今日はなんか雰囲気が違う気がするなぁ」

 ふと、沙知は微笑を浮かべた。

「昔ね、ここで同じ事感じたの。あの時は、夕方だったけど」

「……え?」

 呟いて、新が沙知に目を向けた。

 新の様子に気がつく事なく、沙知は話を続けた。

「八歳の冬だったんだけどね。この公園、夕日に染まって真っ赤だったの。その頃から、私の両親って毎朝ご飯用意する時間もなく仕事に出掛けて行ったのね。だから私、毎日コンビニでお弁当買ってたの。その帰り道だった」

 驚いた表情のまま、新が沙知の言葉を聞いていた。

「この公園の真中に、男の子が立ってたの。その子の背中見てたら、なんでだか私、急に寂しくなってきたのね。で、気がついたら思わず声掛けちゃってた。でもその時、その子は泣くのを我慢してたみたいだったの。私、それ見て困っちゃって。それでね、持ってたコンビニの袋から、私はあるものを取り出してその子に差し出したの」

 いたずらっぽく笑いながら、沙知は新に顔を向けた。

「さて問題です。私は、その子に何をあげたでしょうか?」

 問いを投げ掛けられた新が、混乱したような表情を浮かべた。沙知の気持ちを探るような目をしたままで、新が答えた。

「……田舎汁粉、だろ?」

「あれ、すごーい。どうして分かったの?」

 驚いたような笑顔を浮かべている沙知を見て、新が耐え切れなくなったようにその腕をつかんだ。

「……沙知!おまえは、ずっと分かってたのか?」

「分かってたって、……何を?」

 沙知の疑問を無視して、新が真剣な目で沙知を見つめた。

「おまえはずっと分かってて、それなのに知らない振りを続けてたのか?」

「……言ってる意味が分からないよ。ねえ、どうしたの?どうしてそんなに恐い顔するの?」

 不安げな表情を浮かべた沙知をしばらくの間見つめていた新が、やがて目を逸らし、腕を放した。

 そのまま真っ暗な空を見上げた新が、安堵や戸惑いや、その他色々な感情が混ざりあったような、そんな深いため息をついた。

「ようやく分かった。沙知、おまえは忘れてたんじゃないんだな。ただ、分からなかっただけなんだ」

「だから、何を言ってるの?お願い、私にも分かるように説明して」

 新が、不安な顔のまま自分を見つめる沙知に、なんとも複雑な顔を向けた。

「ここでおまえと話をしたのは、俺だったんだよ」

「……え?」

 新の言葉の意味が分からず、沙知はぼんやりと新の顔を見つめた。

「それって、どういう事?」

「まあ、混乱する気持ちも分かるけどな」

 そう答えた新は、段々と笑いがこみ上げて来たらしく、そのうち腹を抱えて本格的に笑い出した。その横で、新に尋ねるのを諦めた沙知は、考えをまとめるようにぶつぶつと呟き始めた。

「新が、あの時の男の子?でも、そんな事って……。でもでも、新はお汁粉の事知ってたし、でも……。え、え、まさか!」

 急にピンと来たらしい沙知は、目を丸くしながらいきなり立ち上がり、笑い続けている新の顔を見つめた。

「えー!だってだって、こんなに背、高くなかったよ!」

「おまえ、成長期って言葉知らない?」

「それにそれに、顔だって全然違うし、声だってこんなんじゃなかったもん!」

「だから、成長したんだってば、俺は」

「えっと……。ごめん、もう少しだけ私に時間をくれる?」

「どうぞどうぞ。気が済むまで悩んでくれ」

 ベンチに座り直して頭を抱えた沙知を見ながら、新は笑い過ぎてこみ上げてきた涙を何度も拭った。

 しばらくして顔を上げた沙知は、改めて新に顔を向け、じっと見つめた。

「あの時のあの子だから。……だから新は入学式の日、私に話し掛けてくれたの?」

「そうだよ。だって俺、ずっとおまえの事探してたから」

「……だから新は、いつも私に優しくしてくれてるの?」

「あ、それは違う。俺がおまえの世話焼いてるのは、おまえの行動があまりにも危なっかしくて見てられなかったからだよ」

「……そっか。そうなんだ」

 しばらくぼんやりとしていた沙知は、考えがまとまってくるにつれ、段々ときまり悪そうな表情になっていった。

「えっと、あの、私。……なんて言ったらいいか分からないんだけど」

 沙知の様子を面白そうに見つめながら、新が笑いを含んだ声で答えた。

「いいって、もう何も言うな。俺は、おまえがあの事を忘れていなかったってだけで十分だから」

「そう……なの?」

「そうなんだってば。だからもう考えるな」

「……うん」

 頷いた沙知を見て少し微笑んだ新が、沙知の頭に手を置いて顔を覗き込んだ。

「じゃあ、改めて言うけど。沙知、あの時はありがとな」

「……どういたしまして」

 複雑な表情を浮かべたまま、沙知は照れくさそうに俯いた。



 少ししてから新がジュースを買ってきた。それを受け取りながら沙知は新を見上げた。

「そう言えば、あの時新はどうして泣いてたの?」

「ああ、それは……」

 軽く目を逸らした新を見て、沙知は急に勢いよく自分の頬を叩き始めた。

「ああ、ごめん!私ったらまた馬鹿な事訊いてる」

「いや、別にいいって。俺はそういうの気にしない性質だから。だから、自分に体罰するのはやめとけ。見ててなんか恐いから」

 笑って答えた新が、ふと昔を懐かしむように空に目を向けた。

 そのまましばらく空を見上げていた新が、やがて静かな声で言葉を続けた。

「あの日、おふくろが死んだんだ」

 沙知は驚いたように新の顔に目をやった。新は、自分の持っている缶に目を落としながら話を続けた。

「おふくろは、この公園の先にある病院に一年近く入院してたんだ。元々体が弱い人でさ。その入院が何回目だったのか俺には覚え切れなかった。苦しまずに逝ってくれた事だけが、せめてもの救いだったような気がする」

 突然の話に、沙知は新の顔から目が離せなくなっていた。

「お袋の手が段々冷たくなってきた時、俺と一緒に手を握っていた親父が急に立ち上がって窓際に歩いて行った。その背中見て、初めて親父が泣いてるって事に気がついた。俺、すげぇ驚いちゃって。親父のそんな姿、それまで見た事なかったからさ」

 穏やかに話をしていた新が、ふいに自嘲気味に笑った。

「俺さ、ものすごく子供だったんだよな。それまで親父は、どんなにつらい事があってもずっと気丈に振舞っていた。そんな親父が、お袋が死んだあの時、初めて俺に弱さを見せた。俺は、それがすごく嫌だった。おふくろと一緒に、俺が知っている親父までいなくなったような気がしたんだ。で、そのまま病室から逃げ出したんだよな」

 新の、いつもとは違う笑顔を見るのがたまらなくなり、沙知はそっと目を伏せた。

「親父から逃げ出した俺は、一人になれる場所を探した。で、誰もいなかったここを見つけたんだよ。だけど、一人になった途端になんでか物凄く泣けてきて、せめてもの抵抗のつもりで涙が落ちてこないように上を向いてたんだ。そしたら」

 言葉を切って、新が沙知に目を向けた。

「おまえが現れた」

 顔を上げた沙知は、優しい目をした新を見て胸が痛み、思わずまた、顔を伏せた。

「最初は正直、むっとした。誰とも話したくなかったし、涙まで見られちまったからな。でも、何故か突然缶を差し出して来たおまえを見て呆気に取られて。その後、おまえの気持ちをちゃんと理解する事が出来た時、胸が暖かくなって、少し冷静になれた。そしたら急に、自分がしなきゃいけない事が分かったんだ。俺はあの時、親父の側にいてやらなきゃいけなかったんだ。親父を一人にしちゃいけなかったんだよな」

 言葉を切って一気にジュースを飲み干した新が、立ち上がって沙知を振り返った。

「沙知。俺はおまえのおかげで、あの日少しだけ大人になれたんだ」

 呼びかけられた沙知は、顔を上げて新に目を向けた。沙知の目を受け止めた新が、ふと目を逸らして空を見上げた。新の穏やかな、しかしどこか照れくさそうな顔を見た沙知は涙が込み上げて来たのを感じて、慌てて自分も空を見上げた。

 二人の視線の先にあった大きな月は、雲一つない夜空に包まれ、静かに輝いていた。


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