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五、

 まとわりつくような暑さを感じながら、沙知は教室の窓から空を見上げた。真夏特有のぽっかりとした雲が、真っ青な空の中にゆらゆらと浮かんでいた。

 体育館の裏で起きた出来事から、二ヶ月が経っていた。すでに夏休みも半ばに差し掛かっており、この日の午前中に部活を終えた沙知と香苗は、図書室に勉強に来ていた茜と久々に顔を合わせていた。

 暑さで緩みきった表情の香苗が、下敷きであおぎながらぽつんと呟いた。

「しっかしどうでもいいけど、沙知も新もいい加減頑固よねぇ」

 暑さ寒さを表に現さないタイプの茜が、香苗に顔を向けた。

「じゃあ、二人はいまだに口きいてないの?」

「口きかないどころか、視線だって合わせてないよ。更衣室の前で会ってもお互いに完全無視。まったく、変なとこばっかり似てるんだから」

 二人に背を向けて頬杖をついていた沙知は、空を見上げたまま反論した。

「私は、話す事がないから話してないだけ。あっちだってそうなんじゃないの?」

 香苗が小さくため息をついた。

「またそうやって強がる」

「別に、強がってません」

「あらそう?でもその背中に『寂しい』って書いてあるけど」

「暑さのせいで幻覚見えてるんじゃない?早いとこ病院行って来なね」

 黙って二人の話を聞いていた茜が、静かな声で沙知の背中に話し掛けた。

「沙知。新ね、夏休みが始まった頃から由紀と付き合い始めたみたいよ。いろんな人に目撃されてるらしくって、結構噂になってる」

 ぴくりと背中を震わせた沙知は、それでも努めて冷静な声で答えた。

「知ってるよ。後輩達が話してるの、聞いたから」

「沙知は、なんとも思わないの?」

「……茜こそ、なんとも思わないの?」

 何かを考えるような顔をしながら、茜が沙知の背中を見つめた。

「前から言っておきたかったんだけど、沙知は誤解してる。今の時点で、私は新に対して友達以上には思ってない」

 声をつまらせて返事をしない沙知に代わって、香苗が口を挟んだ。

「今の時点って事は?」

「……新に対しての気持ちをきちんと整理出来たのは、二年になってしばらくしてからかな」

 目を伏せた茜が、昔の事を思い出すように小さく笑った。

「元々、新にとって大事な人がいるってのはなんとなく感じてた。でも、このクラスになって止め刺されたって感じ。新の、あんな風に好きな人を見る特別に優しい目を見てたら嫌でも諦めが」

「私、さぁ」

 茜の言葉を遮るように、沙知は立ち上がった。

「ちょっと近藤先生のところ行って来る。相談したい事があるから」

 そのまま、沙知は二人の返事を待たずに教室を出て行った。

 沙知の背中を見送りながら、香苗が小さく呟いた。

「……重症ね、あれは」

 茜が香苗に目を向けた。

「近藤先生に相談って、なんだろう」

「たぶん、部活の事だと思う。あの子、今すごいスランプなのよね。サーブもスパイクも全然入んないの。ムードメーカだったあの子がそんな状態だから、チーム全体もまったく覇気なし」

「ふーん……」

 頬杖をつきながら、茜がため息をついた。

「まあ、仕方ないのかな。こういう問題って結局本人同士が乗り越えなきゃいけないわけだし。周りはきっと、見ていてあげる事しか出来ないんだろうね」

 香苗が、ちらりと茜に目を走らせた。

「そんな事言っておきながらさらっと由紀の話題出すなんて、茜も結構意地悪だよね」

 まったく気にする様子もなく、茜があっさりと答えた。

「あの二人見てるとじれったくて。それに、意地悪の一つくらいさせてもらってもいいでしょ。私は、振られちゃったわけだしね」

 下敷きをあおぐ手を止め、香苗がじっと茜を見つめた。

「……茜って、意外と恐い性格してるのね」

「そう?自分では、ものすごーく優しい人間だと思ってるけど」

 にっこりと笑って答えた茜をしばらく見ていた香苗が、目を逸らしながら呟いた。

「……私、あんただけは敵に回さないようにするわ」

 そのまま沈黙した二人は、しばらくの間真夏の教室で何をするわけでもなくぼんやりと過ごしていた。



 職員室に顔を出した沙知は、近藤に誘われて体育館で個人練習を始めた。自分のペースで練習していると何かを考える暇がなく、沙知は久しぶりに充実した練習が出来た。

 二人が体育館を出た時、外はすでに真っ暗になっていた。

 ドアに鍵を閉めながら、近藤が怪訝な顔で辺りを見渡した。

「おお、なんだ。もう真っ暗じゃないか。いつの間に夜になったんだ?」

「先生、何言ってるんですか?もう八時回ってるんですよ。暗くて当たり前じゃないですか」

「なに?気がつかなかった、もうそんな時間か。早く家に帰れ。ご両親が心配してるぞ」

 沙知は小さく笑って首を振った。

「大丈夫ですよ、誰もいないから。うち、共稼ぎで二人共帰りが遅いんです。こんな時間に帰って来てたらこっちがびっくりですよ」

「ああ、そうか。そう言えばそうだったな」

 近藤がぼりぼりと頭をかいた。

「おまえ、毎日夕食どうしてるんだ?」

「自分で作ってます。こう見えて私、結構料理上手なんですよ。キャリアも長いし」

「へー、そりゃ意外だなぁ。自発的に始めたのか?」

「うーんと、ですね」

 沙知はふと、懐かしむような表情を浮かべた。

「昔、注意してくれた人がいたんです。『コンビニ弁当ばっかり食べてたら将来太るぞ』って」

「なるほど、そりゃ的確なアドバイスだな」

 近藤が声を立てて笑った。

「その人がいなかったら、おまえ今ごろ縦に伸びずに横に広がってたかも知れないなぁ。想像したらちょっと笑えるぞ」

「やだぁ、先生。そんな想像しないで下さいよ」

 沙知は思わず声を上げて笑った。その笑顔を見て、近藤が微笑を浮かべた。

「少しは元気になったみたいだな」

「え?」

 近藤が、沙知から目を離しつつ言葉を続けた。

「三年が引退した今、おまえらニ年がチームを引っ張って行かなきゃいけないんだ。おまえ、結構影響力あるんだぞ。何があったか知らないが、落ち込んでる暇なんてないぞ」

「……はい」

 沙知は小さく頷いた。そんな沙知の頭に手を置いて、近藤が再び笑顔を見せた。

「まあ、俺でよかったらいつでも相談に乗るぞ。練習にもつきあうしな」

 沙知も少し笑って見せながら、廊下の窓から外の様子を眺めた。

「それは嬉しいんですけど、でもこんなに暗くなるとちょっと帰りが恐いですね。先生、家まで送って下さいよ」

「ばーか、十年早い!」

 近藤が、置いていた手で沙知の頭を軽く叩いた。

「恐けりゃ走って帰れ。体力作りにもなるし一石二鳥だぞ」

「ふーんだ。先生のケチ」

 少しふくれて見せた後、沙知はにっこりと微笑んだ。



 二人が向かっていた教室から、灯りが漏れていた。

「ん?こんな時間に、まだ誰かいるのか」

 ドアを開けた近藤が、中に向かって驚いたように声を掛けた。

「なんだ、新。おまえこんな時間までどうした?」

 トレーニングウェアを鞄に押し込んでいた新が、近藤に顔を向けた。

「どうした、って。練習してたに決まってるじゃないですか」

 近藤が感心したような声を上げた。

「ほお、ずいぶん熱心だなぁ」

「まあ、こう見えても俺は明日のハンド部を背負うエースですからね。常日頃から人一倍練習してるんですよ」

 冗談とも本気ともつかない返事をしていた新が、ふと近藤の後ろに目を走らせた。

 気まずそうに顔を伏せている沙知を見つけて、新が困ったように視線を逸らした。

 急に黙り込んだ二人の様子をしばらく観察していた近藤が、ふと沙知の腕をつかみ、強引に教室に招きいれた。

「ちょうどよかった。沙知、新に家まで送ってもらえ」

「え!」

 いきなりな言葉に、沙知は後ずさりした。

「いいですいいです!私、一人で帰れますから」

「何言ってんだ。おまえ、さっきまで一人で帰るのが恐いって言ってたじゃないか」

「そう言う先生だって、送ってもらうなんて十年早いって言ってたじゃないですか」

「ん?そんな事言ったっけな、俺。忘れちまったよ」

 近藤のとぼけた顔を見て、沙知がうなるように呟いた。

「……ずるいなぁ、大人って。自分ばっかりすっとぼけた振りして」

 沙知の言葉を無視して、近藤が新に顔を向けた。

「なあ、新、頼む。こいつを送ってってくれよ」

 複雑な表情を浮かべながら、新が頷いた。

「俺は、別に構いませんけど」

「私は、遠慮します。お先に失礼します」

 すばやく鞄を抱えて歩き出そうとした沙知のえりあしを、近藤がつかんで引き止めた。

「そうはいかん。担任として、顧問として、おまえをこのまま一人で返すわけにはいかないんだよ。いろんな意味でな」

 そのまま肩をつかんでくるりと前を向かせた近藤が、沙知にするどい目を向けた。

「それともおまえ、俺の言う事が聞けないってのか、ん?明日からの練習が苦しくなっても知らんぞ」

「……分かりましたぁ。言う事聞きますぅ」

「分かればいいんだ、分かれば」

 表情を緩めた近藤が、新を振り返った。

「じゃあ頼むぞ。こいつはうちの大切なエースなんだからな。無事に送り届けろよ」

「はいはい、分かってますって」

 軽く笑いながら答えた新に向かって、近藤が言葉を続けた。

「本当に分かってんのかね、おまえは。いいか、もしこいつがケガでもしたらなぁ」

 近藤が、新に向かって真面目な顔を作って見せた。

「男として、しっかりと責任を取ってもらうからな」

 少しの間不思議な顔をしていた新が、ふと気がついたように真面目な顔を作り返した。

「分かりました。もし何かあったら、男としてきちんとけじめをつけます」

「よく言った。いいか、男と男の約束だからな」

「はい、男に二言はありません」

 それまで黙って聞いていた沙知が、赤い顔をして二人の間に割って入った。

「もう!何わけの分かんない約束してるんですか。いいから先生、とっとと出て行って下さい!」

 沙知に背中を押された近藤が、がははと笑いながら教室を出て行った。

 近藤を追い出して小さく息を吐いた沙知はふと新の事を思い出し、その場から逃げ出したいような衝動に駆られた。

逃げるべきか留まるべきか、ドアの前で態度を決めかねていた沙知は、新が机から鞄を取り上げるかたんという音を聞いて背中を震わせた。

 胸の鼓動を感じながら考えがまとまらずにいる沙知の横に、新が立ち止まった。

「ほれ、行くぞ」

「……はい」

 新の穏やかな声に促されて、沙知は小さく頷いた。



 新は、なんともないんだろうか。

 前を歩く背中を見ながら、沙知は考えていた。

 気まずくなってから今日まで、自分がずっと抱いていた思い。

 話し掛けたくても言葉が出て来なかった。何度も目で追いそうになっては慌てて視線を逸らしていた。今までずっと、どうしたらいいか分からず、何もする事が出来ず、ただただ時間が過ぎ去って行くのを黙って見ているしかなかった。

 そんな思いを持て余していたのは、自分だけだったのだろうか。

 ふいに涙がこぼれそうになって、沙知は急いで瞬きを繰り返した。

 先に靴を履き終えた新が、下駄箱の前で沙知を待っていた。急いで裸足になった沙知は、目の前の下駄箱が白く大きく揺らいだのを見て、思わず手にしていた上履きを取り落としてしまった。

「なぁにやってんだ」

 新が、背中を見せたまま動かない沙知の横に回って上履きを拾い、靴と取り替えてからしゃがみ込んだ。

「おまえは赤ちゃんかっての。ほれ、早く靴履いちまえ」

 沙知の前に靴を置いた新は、目の前の床にぽたりと水滴が落ちたのを見て顔を上げた。

 次々と涙を溢れさせている沙知を見て、新が静かに声を掛けた。

「……どうした?」

 新の言葉を聞いて、沙知はしぼり出すような声を出した。

「新は、平気なの?」

 呟いて、沙知は自分の胸に手を置いた。

「苦しいの。自分自身の事なのに、何をどうしたらいいのか分からないくらい苦しいの」

 しばらく沙知を見つめていた新が立ち上がり、背中を向けて息を吐いた。

「俺だって同じだよ。ただ、見せてないだけだ」

 思わず顔を上げて新の背中に目を向けた沙知は、ふと以前香苗に言われた言葉を思い出した。

 新にだって、どうしたらいいか分からない事や、思い通りにならない事が山ほどあるはず。

「……ごめん」

 涙を拭いて、沙知は靴を履いた。

「ごめん、泣いたりして。もう、大丈夫だから」

「……よし。じゃあ、行くぞ」

 背中を向けたまま歩き出した新に続いて、沙知はゆっくりと足を踏み出した。


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