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一、

 再会から一年経った四月。

 中学二年生になったばかりの沙知は、新しい教室のドアに手を掛けた。

 教室の中に香苗の姿を見つけ、沙知は笑顔を浮かべた。

「おはよー、香苗。今年はクラスでも一緒ってわけでよろしく」

「はいはい、こちらこそよろしく」

 香苗が笑顔を返しながら沙知を見上げた。

「よかった、同じクラスになれて。これであんたを部活に引っ張って行くのが少し楽になるってもんだわ。あんたって、気を抜くとすぐにサボろうとするんだから」

 沙知は少し目を泳がせながら、香苗の隣の席に腰掛けた。

「……いやだなぁ、香苗ったら。心配しなくても大丈夫だって。私もさすがに二年になってまでサボらないよ。レギュラーにだってなりたいし」

「信じていいのね、その言葉」

 香苗が真剣な目で沙知を見据えた。

「私はね、あんたのその恵まれた高身長と、驚異的なジャンプ力と、意外と持ってる運動神経に、ものすごーく期待してるの。明日のバレー部のエースになるのはあんただって心から信じてるの。この思い、裏切らないでよね」

 目を逸らしつつ、沙知は軽く愛想笑いを浮かべた。

「いやぁ、光栄ですぅ。未来の部長と噂されている香苗様に、そこまで言って頂けるなんて」

「……なによ、未来の部長って?」

「みんな言ってるし、私もそう思ってるよ。だってね、香苗のそのバレー部だってのに大胆な低身長と、しかしそれを補って余りある正確なトスやレシーブの技術と、意外と持ってるリーダーシップ。私は、明日のバレー部を仕切って行くのはあんたしかいないって心から信じてるの」

 香苗が静かに椅子から立ち上がり、力を込めて沙知の両肩をつかんだ。

「……あんた、私の真剣な気持ちをおちょくってるでしょ?」

「……いや、誤解だってば。そんなつもりはまったくないございませんよ、本当に」

 フォローするかのようにへらへらと笑う沙知から目を逸らし、香苗が小さくため息をついた。

「もう、こんな奴の友達やめようかなぁ」

 沙知が返事をするより早く、香苗の背後から声が掛けられた。

「その方がいいぞ。こいつはものすごーく冷たい奴だから。鳥頭だし」

 はるか頭上から響く声を聞いて香苗が振り返った。

「あ、沙知の天敵。あんたも同じクラスだったんだ」

「そういう事。ま、ひとつよろしく」

 身長一四五センチの香苗より三〇センチ以上高い位置にある顔を見て、沙知は厳しい表情で呟いた。

「……あんたまで同じクラスだったとは」

 新が沙知を見下ろし、ちょっと意地悪そうな笑顔を浮かべた。

「これも運命って奴だな。まあ、おまえとしては不本意だろうけど」

 しばらく新を睨みつけていた沙知は、やがて努めて冷静な顔を作って見せた。

「ところでさぁ、前から訊きたかったんだけど。あんたはいっつも私の事を『冷たい奴』とか『鳥頭』とか言うけど、それってなんで?なんの根拠があって言ってるわけ?」

「それが分からない時点ですでに根拠ありありなんだって事を、そろそろ学習してほしいんだけど」

 答えながら、新が沙知のいる席に鞄を置いた。

「でさぁ、悪いんだけど、そこどいてくれる?俺、座りたいんだよね」

 沙知は思わず声を荒げて答えた。

「どうして私があんたに席を譲らなきゃいけないのよ!」

「どうしてって、ここは俺の席だから。黒板見てみな。席順に名前が書いてあるから」

 そっと黒板を盗み見た後、気まずそうな顔で立ち上がった沙知は、無言で肩を震わせている香苗の頭を引っ叩いた。

「笑うな!」

 余裕で席につきながら、新が沙知を見上げた。

「本っ当に隙だらけだよなぁ。沙知さぁ、おまえもっと大人になった方がいいと思うよ、俺は」

 沙知はきりっと新を睨みつけた。

「だから、名前で呼べっていつ言った?」

 新が、真面目な表情で答えた。

「仕方ないだろ。俺にとって、おまえは『沙知』以外の何者でもないんだから」

「……あんたって毎回そういう風に答えるけど、まったく理解出来ないんだよね、私は」

「だから、おまえの記憶力がよけりゃ、すぐに理解出来る答えなんだよ」

 横から香苗が口を挟んだ。

「いいじゃないの、沙知。名前で呼ばれるくらい。お返しにあんたも名前で呼んであげればいいじゃない」

「なんで私がそんな親しげな事をこいつにしてやらなきゃいけないのよ」

「じゃあ、私が呼んであげよっか、新。それとも、私じゃ嫌?」

 香苗に声を掛けられ、新が笑顔を返した。

「嫌じゃないよ。じゃ、俺もお返しに名前で呼ぼうか?」

「うん、いいよ。なんか、仲良しグループみたいでいい感じじゃない。ね、沙知?」

「いい感じじゃない。あんた達二人でやっててよ」

 二人の間で首を振った沙知の後ろから、大きな声が上がった。

「いいねぇ、仲良しグループ。俺も参加したいんだけど」

 声に目を走らせた新が、笑顔を浮かべた。

「お、ようやく来たか、一樹。遅かったな」

 振り返った沙知の後ろに、ごっつい体格をした少年、一樹が立っていた。

「ああ、ちょっと顧問のところに話訊きに行ってたからさ」

「へー、二年の初日からねぇ。おまえ、相変わらず真面目だな」

「しょうがねぇだろ、いきなりレギュラーなんだから。おまえだって同じ立場だろうが。余裕かましてると後から苦労するぞ」

 香苗が横から一樹の顔を覗き込んだ。

「二人ってハンドボール部だよね。どうして二年でいきなりレギュラーなの?」

 新の机に寄りかかりながら、一樹が答えた。

「うちさ、一つ上の先輩がいないんだよな。で、先月二つ上が卒業しただろ。そしたら、俺達しかレギュラーになれる奴がいなかったってわけ」

「ふーん、大変ね。大会にだって出なきゃいけないんだもんね」

「おまえ達だって、三年が引退したらすぐにレギュラーだろ。特に香苗と沙知は実力あるしな」

 さらりと発言した後、一樹が新に顔を向けた。

「……なんか、女子を名前で呼ぶのってどきっとするなぁ」

 新が、まったく冷静な顔で答えた。

「気にするな、そのうち慣れるだろ。なんたって俺達は仲良しグループになるわけだし」

 ぼんやりと話を聞いているうちにいつの間にか仲良しグループに入れられていた沙知は、慌てて新に詰め寄った。

「ちょっとちょっと!私はまったく納得してないんだけど!それにねぇ」

 反論を始めた沙知の声を遮るように、教室のドアががらりと音を立てて開き、担任の近藤が姿を見せた。

「おーい、みんなさっさと席につけー。学活始めるぞー」

 言葉を続け損ねた沙知に、新が意地悪な笑顔を向けた。

「席につけってさ、沙知」

「……言われなくても聞こえてます」

「おまえの席は真中辺だからな、沙知。間違えて人の席に座るんじゃないぞ、沙知」

「うるさいなぁ、もう!沙知沙知言うな!」

 にやにやしている新に背中を向け、沙知は憮然とした顔で席に座った。座ってすぐに、沙知は視線を感じて顔を上げた。

 冷たい目をした少年が、表情もなくそこに立っていた。ただ見つめられているだけなのに、沙知はその目に捕らえられたように固まってしまった。

「ここ、俺の席なんだけど」

 少年の言葉を理解するより先に、反対側から腕をつかまれて沙知の体が自然に立ち上がった。

「おまえなぁ、言ってる側から間違えてんじゃねぇよ」

 沙知の腕を取っていた新が、少年に笑顔を向けた。

「悪いな、神谷。こいつ、本当に落ち着きがないもんだから。悪気はないんだけどな」

 神谷の視線が沙知を離れ、新に移った。

「新、おまえの知り合いか?」

「まあ、そういう事」

「ふーん」

 新から視線を外しながら、神谷が空いた席に座った。

「だったらしっかり見張ってろ。自分の席につくってだけの事すら出来ないような奴を野放しにしておくのは危険だぞ」

 神谷の視線から逃れたと同時に我に返っていた沙知は、思わず神谷を睨みつけた。

「ちょと、それってあんまりじゃないの?席間違えただけの人にそこまで言う?」

 噛み付きそうな顔をしている沙知の腕をつかんだまま、新が神谷の席から離れ始めた。

「ご親切にどうも。お言葉通り、しっかり監視する事にするよ」

「ちょっと、あんたまでなによ!手、離してくれる?私、あいつにもう一言くらい言ってやりたいんだから」

「まあまあ。とりあえず今は自分の席につく事を考えろ。さあ、沙知。自分の席が分かるか、ん?」

「そんなもん、分かるに決まってるじゃないの!もうあんたの席と私の席しか空いてないんだから」

 沙知の言葉を受けて、教壇にいる近藤が声を掛けた。

「その通り。おまえら以外はもう席についてるんだよ。お取り込み中すまんが、おまえらも早いとこ座ってくれるか」

 近藤の視線に気がつき、慌てて席に座った沙知を見届けてから、新が自分の席に戻った。

 近藤が、ぼりぼりと頭をかきながら沙知に視線を向けた。

「おい、沙知。俺は一年の頃からバレー部顧問としておまえを見てきたから言うが、もうちょっと注意深くなってくれな。ただでさえおまえの試合は危なっかしくて落ち着いて見てられないんだから」

「……はい。ご心配掛けてすみません」

 沙知は気まずい思いで、俯いたまま小さく頷いた。



 始業式のこの日、あっという間に放課後を迎えた。

 沙知は、思い切ったように新の席に向かった。帰り支度を済ませて立ち上がろうとしていた新が、沙知に目を向けた。

「ん、どうした?なんか文句でも言いに来たのか?」

「違います!……あの、よく考えたら、今朝助けてくれたお礼言うの忘れてたから。ありがとね」

 ちょっと赤くなりながら小声で呟く沙知を見て、新が笑顔を浮かべた。

「どういたしまして。まあ気にすんな。おまえを見張るのが俺の役目だから」

「……なによ、それ。誰がいつそんな事頼んだっての?」

「神谷に、今朝」

 沙知は思い出したように眉を寄せて振り返った。

「そうだ、忘れてた!私、あいつに一言言ってやるんだった」

 大またで歩き出そうとした沙知の制服のえりあしを新がつかんで引き止めた。

「やめとけ。人の話を素直に聞くような奴じゃないよ、あいつは。おまえがかなう相手じゃないし」

 側で話を聞いていた香苗が、新の顔を覗き込んだ。

「ねぇ、新はあの神谷って奴と友達なの?」

「ん……。まあ、俺はそう思ってるけどな。あいつがどう思ってるかは知らない」

 一樹が立ち上がって新の机の横に立った。

「なかなかきつい性格してるな、あいつ。おまえと張るくらい男前だが、若者らしい爽やかさが感じられない。少なくとも、運動部じゃないだろ、あれは。汗とか根性って言葉がまったく似合いそうにない」

「ああ、奴は帰宅部だよ。だけど、汗とか根性とか結構知ってると思うけどな」

 新が、頬をぽりぽりとかきながら答えた。

「なんせ、あいつの家は空手の道場だから」

「なに、道場?」

 一樹が、心底驚いたように新に目を向けた。

「あんな細い体でか?」

「ああ、たぶんあの細さは筋肉で引き締まってるって奴じゃないの?まあ、俺はあいつと裸を見せ合う間柄じゃないからよく分からんけど」

「……へー」

 少し気を抜かれたように、一樹が呟いた。

「なんか、俺の中で『武道家』って奴のイメージが変わったかも知れない」

 一樹の表情を見ながら、新が笑い声を上げた。

「まあ、そう言うなって。というかな、世の中におまえほど汗とか根性って言葉が似合う奴はいないと思うぞ。おまえと一緒に部活やってると爽やか過ぎて眩しいくらいだよ」

「ん?……まあな」

 誉めているのだかよく分からない新の言葉に、一樹が少し得意そうな表情を浮かべた。

「俺は昔から、近所でも評判の好少年だから」

 その一樹に向かって答えようとした新が、ふと口をつぐんで教室の奥に目を走らせた。

 新を見ていた沙知は、思わずつられて振り返った。

 そろそろ人影がまばらになってきた教室のその場に、神谷の姿があった。

 神谷の前に青ざめた顔の少女が立っているのを見て、新が立ち上がった。

 掃除当番らしい少女は、手にバケツを持っていた。神谷の足元に水たまりが出来ている。どうやら、バケツを持った少女が誤って神谷に水を掛けてしまったらしい。

「……ごめんなさい」

 震えだしそう声で呟いた少女を、神谷が冷たく見下ろした。

「……なんのつもりだ、茜」

 今朝、沙知の動きを奪った神谷の冷たい目を、茜が気丈にも見つめ返した。

「わざとじゃないの。ちょっと手がすべっちゃって」

「手がすべった、ね」

 呟いた神谷が、いきなり茜の手首をつかんで持ち上げた。

 痛そうに顔をゆがめた茜の手からバケツが滑り落ちた。床に転がったバケツが、わずかに残っていた水をも撒き散らした。

「おまえ、なんでここにいるんだよ」

 小さな体を更に縮めるようにして、茜が目を逸らした。

「なあ、茜。なんでまた同じクラスにいるんだよ。いい加減目障りなんだよ、おまえは」

 あまりにも乱暴な神谷の態度に呆然としていた沙知の耳に、妙にのんびりとした新の声が響いた。

「おい、神谷ぁ。そのくらいにしとけよ」

 思わず顔を向けた沙知は、今まで見た事がないような表情をしている新に目を奪われた。一見穏やかな笑顔を浮かべている新の、その目だけは冷たいくらい厳しかった。

「初日からそういう態度ってよくないんじゃないの?クラスメートの印象最悪だぞ」

 ゆっくりと振り返った神谷が、しばらくの間新の目を受け止めていた。やがてふと視線を逸らし、茜の手を振り払うとそのまま黙って教室を出て行った。

 静まり返った教室に、新が動き出す音だけが響いた。茜の横まで歩いて行った新が、転がっていたバケツを持ち上げた。

「大丈夫か、茜?」

「……うん、大丈夫。ありがとう、新」

 消え入りそうな声で答え、茜がそっと新の顔を見上げた。

 その姿を見た途端、沙知の気持ちが小さく揺れた。

 放課後の教室がいつもの賑わいを取り戻すまで、しばらく時間が掛かった。


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