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オープニング

 それは、二人にとって大切な思い出だった。

 頭の中で、いつでも手に取れる場所に置いておきたい、そんな思い出だった。



 冬の凛とした寒さの中、八歳の沙知は真っ赤な夕日を見ながら歩いていた。いつものように一人分のコンビニ弁当をぶら下げながら、沙知は家までの近道である公園に入って行った。

 公園の中にある、すべてのものが真っ赤に染まっていた。ブランコも、ジャングルジムも、砂場も、この時は沙知に向かっていつもとは違う顔を見せていた。

 夕日を見つめていた沙知は、目の前に立っている人物に気がついて、足を止めた。

 自分と同い年くらいの少年だった。

 身動き一つせず空を見つめている少年の背中に、沙知はふと自分と似た寂しさを感じた。

 それはもしかすると、自分の持つ一人分の食事と同じ寂しさかも知れない。

 少し迷ってから、沙知は少年に話し掛けた。

「……きれいな、夕焼けだね」

 沙知の声に、少年が小さく振り返った。

「……夕焼け?」

 ちらっと沙知に走らせた目を、少年はすぐに元に戻した。

「あ、本当だ。気がつかなかった」

 沙知は少年の横に回って、そっと顔を覗き込んだ。

「夕焼けを、見てたんでしょ?」

「ううん、違う」

「じゃあ、どうして上を向いてるの?」

 少年が、夕日で真っ赤に染まった顔を沙知に向けた。途端に大粒の涙が頬に転がり落ちて、慌てたように背中を見せた。

「……泣いてるの?」

「……おまえには関係ないだろ」

 震えた声で答えた少年の背中を、沙知はしばらく困ったように見つめていた。

 そしてふと、手に持ったコンビニの袋に手を入れた。

「これ、あげる」

 涙をぬぐって振り向いた少年が、沙知の手にある缶入り田舎汁粉をぼんやりと見つめた。

「……なんで?なんで汁粉なんかくれるの?」

「あの、えっと。お汁粉は温かいから、これ食べれば体が暖まるでしょ。それに」

 照れくさそうに俯きながら、沙知は少年の目の前に手を突き出した。

「それに、体が暖まれば、たぶん気持ちも暖まると思うから。私は、いつもそうだから」

 きょとんとした顔のまま、少年が目の前に突き出された缶を受け取った。

「じゃあね」

 ぶっきらぼうに背中を向けて、沙知は大またで歩き出した。

 逃げるように公園の出口まで来た沙知を、少年が呼び止めた。

「なあ、ちょっと待って」

 少し迷ってから、沙知はばつが悪そうに振り返った。

「なぁに?」

「おまえさ、名前何て言うの?」

「名前?……沙知」

「沙知、か」

 小さく呟いてから少年が笑顔を浮かべた。

「俺は、新。これ、ありがとう」

 新が、手にした缶を小さく振って見せた。

「でさぁ俺、思うんだけど。そのビニールの中ってコンビニの弁当だろ?」

 少し意地悪そうな表情になりながら、少年が言葉を続けた。

「そういうのばっかり食ってると、将来絶対太るから気を付けろよ。じゃあな」

 軽く手を上げてとっとと走って行ってしまった少年を、沙知はぼんやりと見送った。

 しばらくしてから、沙知はコンビニの袋を見下ろして呟いた。

「……料理、勉強しよっと」

 再び歩き始めた沙知はふと、いつもより少しだけ暖かい自分の気持ちに気がついた。



 二人が再会したのは四年後。中学に入学した日の事だった。

 ベランダの柵に頬杖をつきながら、沙知は入学式を終えて家に帰る同級生達をぼんやりと眺めていた。

 みんな、入学式を見に来た両親と共に歩いている。沙知はため息をついて目を逸らし、空を見上げた。真っ青な空にぽつんと一つだけある雲が、まだ少し冷たい風に吹かれゆっくりと流れていた。

 ふと、がらがらと音がした。振り向くと、隣のクラスのサッシが開いて新が出て来たところだった。沙知と目が合った新の顔には、照れくささと緊張とが混ざり合ったような複雑な表情が浮かんでいた。

 陸続きになっているベランダを歩いて、新が沙知の前に立った。沙知は、自分よりも少し背の高い新の顔を黙って見上げた。

「……きれいな空、だよな」

「……空?」

 沙知はちらりと上空に目を移して答えた。

「……あ、本当だ。気が付かなかった」

 複雑な表情のまま、新が沙知を見つめた。

「空を、見てたんじゃないのか?」

「ううん、違う」

 沙知は小さく首を振り、体ごと空に目を戻した。

「何かを見てたってわけじゃないよ。ただ、ぼーっとしてただけ」

「……そうか」

 呟いた新が、沙知の横に並んで柵に両腕を乗せた。

「まだ、家に帰らないのか?」

 少し不思議そうな表情を浮かべながら、沙知は新を見つめた。

「帰るけど。でも急いで帰ったって、別に誰が待ってるってわけじゃないし」

「親は、来なかったのか?」

「あの人達は仕事が忙しいから。入学式ごときで来てもらったら、かえって気が引けちゃう」

「ふーん。じゃあ、うちと同じだな」

 新が少し笑った。

「俺の親も今日は仕事なんだよ。まあ、俺の場合は親父だけだけど」

「どうして?お母さんは?」

「お袋は、俺がガキの頃亡くなった」

 沙知は少し口ごもって、困った様に目を伏せた。

「あ……、ごめん」

「別に、謝る事じゃないよ」

 新が笑顔を浮かべ、沙知に目を向けた。

「……久しぶり、だな」

「え?」

 沙知は新に顔を向け、視線を受け止めた。その沙知の目を見つめたままで、新が言葉を続けた。

「道歩いてる時とか、その辺で遊んでる時とか、時々目で探してたりしてたんだよな。だけどずっと見つけられなくて、諦めかけてたんだ。それがまさか、こんなところであっさり再会出来るとはね」

「……再会」

 新の目を見つめていた沙知は、そっと目を逸らし、俯いた。

 しばらくしてから思い切った様に顔を上げた沙知は、真剣な眼差しを新に投げ掛けた。

「あの、……どちら様でしょうか?」

 沙知の目を見つめていた新が、ふと目を逸らした。その後、ベランダの柵に置いていた自分の腕に顔を埋め、うなるように呟いた。

「……それは要するに、まったく覚えてないって事ですね?」

「いや、あの、えっと。たぶん、覚えていないってわけじゃなくって、ただ思い出せてないってだけだと思うのね。だからほらあの。……あ、ヒント!ヒントくれれば思い出します。今すぐ!」

「……ヒント、ですかぁ?」

 新が顔を上げ、投げやりに頬杖をついた。

「せっかくですけど、そこまでして思い出してもらっても嬉しくありません。というか、忘れてるんならもういいです」

「え、やだちょっと、すごく気になるんだけど。いつ会ったんだっけ?どこで?」

「絶対教えない」

 新の言葉に沙知は少し頬をふくらませた。

「ケチー!いいじゃない、ヒントくらいくれたって」

「おいこら!ケチとはなんだ、ケチとは」

 新が、沙知にきりっと目を向けた。

「人のちょっと甘酸っぱい思い出を台無しにした上にケチ呼ばわりとはなんだ、こら!大体なぁ、おまえも年頃の女だったらあのくらい覚えとけよ、この鳥頭!」

「何よ、鳥頭って?」

「三歩歩いたら全部忘れるって事」

「それってイコール馬鹿って事?」

「でなきゃ、よっぽど冷たい奴なんだなぁ、おまえは。人の事あっさり忘れちゃうんだからなぁ」

「……くっ!」

 怒りで声を詰まらせた沙知は新を睨みつけた。

「いいです、もう!教えてくれなくて結構です。ていうか、あんたの事なんか思い出してやんないから!」

 ふんっと顔を逸らしてベランダを去ろうとした沙知は、そのまま思いっきりサッシに顔をぶつけた。

「……おい。中に入りたいんなら先にサッシを開けるべきだと思うぞ、俺は」

「分かってます!ちょっとうっかりしただけです!」

 赤くなった鼻を押さえて、沙知は憤然とサッシを開け、教室に入って行った。

 無言でそれを見送った新が、柵に背中を向け、寄りかかった。

「……あいつってああいう奴だったんだ。想像とまったく違ってんだけどなぁ」

 しばらくして、ため息をつきながら体をひねった新は、肩を怒らせて校門に向かう沙知に気がついた。

 同時にベランダに目を向けた沙知が、新に向かって威嚇するように学生鞄を振り回して見せた。その鞄から、いきなり中身が飛び散った。どうやら鞄の口を閉め忘れていたらしい。沙知が慌てふためきながら荷物を回収し始めた。

 思わず笑ってしまった新に、沙知は真っ赤な顔を向けて怒鳴った。

「笑うなー!」

 そのまま大またで校門を出て行く沙知を見て、新が笑いながら呟いた。

「ったく、落ち着きがない奴だなぁ。あれじゃ、心配で目が離せないじゃねぇか」

 笑顔を浮かべたまま、新はしばらく小さくなっていく沙知の後ろ姿を見送っていた。



 一週間後の放課後。

 体育館に向かっていた沙知は、更衣室の前に立つ新に気が付いた。

 無視をしようと心に決め、無言で目の前を通り過ぎようとした時、新がいきなり大声で怒鳴った。

「沙知!足元にムカデが百匹!」

「やだやだ、うそー!」

 慌てて飛び跳ねて足元に目を下ろした沙知の耳に、新ののんびりとした声が届いた。

「♪馬鹿が見るー」

「……何それ、今時。何年前の引っ掛けだと思ってんの?」

「そんな古い手に引っ掛かるおまえもどうかと思うけどな」

 意地悪な笑いを浮かべながら新が答えた。

「ところで、体育館に何しに行くんだ?」

 沙知はふんっと視線を逸らした。

「あんたに関係ないでしょ」

「いいだろ別に、関係ない奴が訊いたって。なあ、何しに行くんだよ。教えてくれよ。教えてみろよ。教えるべきだ。教えてくれたっていいじゃねぇか」

「ああもう、うるさいなぁ!部活見学に行くの!」

「へー、どこの部活?」

「バレー部!」

「ほう、なるほどね」

 新が沙知の両肩に手を置き、何度も頷いて見せた。

「沙知、おまえはえらい。きちんと自分の適性を考えた選択だ。すくすくと育ってるからなぁ、おまえ。俺とあんまり変わらないくらいの身長だしなぁ」

 沙知は上目遣いで新を睨みつけた。

「……あのさぁ、一つつっこみたい部分があるんだけど、いいかなぁ?」

「はいはい、いいですよ。どうぞおっしゃって下さい」

「じゃ、遠慮なく」

 沙知は新の手を軽く叩いて振り払った。

「どうして私があんたに沙知呼ばわりされなきゃいけないのよ!名前で呼べっていつ言った?」

 新があっさりと答えた。

「だって俺、おまえの名字知らねぇもん」

 沙知は少し不思議そうな表情を浮かべた。

「……それってどういう事?」

「まあまあ。そんな深く考えるなって。ところでさ、俺がどの部に入るか、興味ない?」

「あるわけないでしょ」

 眉を寄せて即答した沙知を見て、新が少し笑った。

「やっぱり?でもまあ、ここは一つ大人になって訊いてくれない?世間話だと思ってさ」

 ふーっと深いため息をついた後、沙知は低い声で尋ねた。

「……あなたは、どの部に入るんですか?」

「俺はね、ハンドボール部に入ったんです。今日から早速練習なんだよな」

 にこにことして答えた新に、沙知は背中を向けた。

「よかったですね。じゃあ、私はこれで」

「待て待て待て!」

 慌てたように、新が沙知の腕をつかんだ。

「何よ。もういいでしょ、訊いてあげたんだから」

「いや、そうじゃなくってさ。沙知、おまえ大丈夫か?」

「大丈夫かって、何が?」

「俺がいなくても大丈夫か?ハンドは外でやるからおまえの事見ててやれないんだけど」

 冗談だか本気だか分からないような表情を浮かべている新の手を、沙知は再び振り払った。

「あんたは私の保護者かっての!大丈夫に決まってるでしょ!ていうか、見てなくていいから。ううん、むしろ金輪際見ないでほしいんだけど」

「いや、だってさぁ、おまえ危なっかしいんだもん。誰かが見張ってないとすぐ大きなケガとかしそうなんだよなぁ」

「なによ、ふーんだ!同い年のくせに大人ぶらないでくれる。あんたみたいな奴に心配してもらうほどくだらない奴じゃないんだからね、私は!」

 沙知は、新に向かって勢いよく鞄を振り回し始めた。

 いきなり、鞄の中身がばらばらと飛び散った。散乱した教科書を見ながら、新が小さく呟いた。

「……ほれ見ろ」

「……あれぇ?ちゃんと閉めてたつもりなんだけどなぁ」

 気まずそうに呟いた沙知の横を、一人の少女が通り掛かった。二人の足元にある教科書を見て、少女がしゃがんで拾い上げた。

「よかったね、そんなに汚れてないよ」

 少女が沙知に教科書を差し出した。

「はい、これ」

「あ、ありがと」

「どういたしまして」

 笑顔で答えた少女が、沙知の顔を見上げて小さく首を傾げた。

「ねえ、もしかしてバレー部見に来たの?」

「うん、そうだよ」

「やっぱり?すごく背が高いから、そうだと思った。実はね、私もバレー部見に来たの。一緒に行かない?」

「……うん、いいけど」

 自分を見下ろす沙知の目を見て、少女が少し笑った。

「私は、セッターねらいなの。あれならそんなに背が高くなくても出来るでしょ」

 沙知は納得したように大きく頷いた。

「ああ、なるほど。じゃあ、一緒に行こう。あ、私はね、沙知って言うの」

「私は香苗。よろしくね」

「こちらこそよろしくー。じゃ、早速行きますか」

 香苗が、体育館に足を向けた沙知から新に目を移した。

「でも今、話中なんじゃないの?終わるまで待ってるけど」

「ああ、いいのいいの。別に大した話してないから」

「ちょっと待て、沙知」

 歩き出そうとした沙知を引き止め、新が香苗に目を向けた。

「俺さ、あんたに頼みがあるんだけど」

 香苗が不思議そうな顔をして新に向き直った。

「私に?えっと、何かな?」

「あのさ、もしあんたがこいつと同じ部に入ったとしたら、俺の代わりにこいつの事、見ててやってくれないか?」

「……あなたの代わりに?」

「ああ、俺の代わりに」

 少し新を見つめた後、香苗は沙知に目を走らせ、大きく頷いた。

「ああ、はいはい、そういう事ね。いいよ、分かった。あなたの代わりにこの子の世話、してあげる。だから安心して」

 なにやら深く納得したような顔をしている香苗に、沙知は恐る恐る声を掛けた。

「……あの、ちょっと待って。何か誤解してない?私とこいつは何の関係もないんだからね」

「まあまあ、いいからいいから」

「いや、よくないって。大体ね、あんたがそんな風に人に誤解されるような事を言うから」

 新に向かって一歩詰め寄った沙知のえりあしをつかんだ香苗が、体育館へと足を踏み出した。

「まあまあ、そう怒らずに、ね。ちゃちゃと部活見学しちゃおう。あ、そこ段差あるから足元気をつけて」

「え?わ、びっくりした!」

「ほらぁ、言ってるそばからつまずいてるじゃない。しっかりしてよ、もう」

 早速香苗に世話を焼かせている沙知を見送りながら、新は少し笑顔を浮かべた。

 そして一つ大きく伸びをしてから、更衣室に入って行った。 


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