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十、

 なんの解決も見出せぬまま、三日ほどの時が過ぎていた。

 その三日間は、沙知にとって居心地の悪い時間だった。

 教室にいても、授業中でも、部活に出ていても。沙知の事を心配している香苗と一樹がぴったりと張り付いており、一人になる事が出来なかった。

 気を使っているのか、茜は沙知との接触を避けてくれているようだった。そのさりげない優しさが、沙知にとっては嬉しく、しかし反面いらただしかった。

 新は、まったく変わらない様子だった。いつも通り明るくクラスに溶け込んでいる。

 その様子を見ると、沙知は今までの事がすべて夢だったのではないかという気持ちにとらわれた。しかし、新の側にいない自分に気がつく度、それが現実なのだと思い知らされたのだった。



 放課後の更衣室で、沙知は香苗の姿を目で追った。香苗は、何人かの後輩と話をしている最中だった。

 急いで荷物をまとめ、沙知はこっそりと更衣室を抜け出した。

 音を立てないようにドアを閉め、沙知は誰もいない静かな廊下を足早に歩き出した。

「部活さぼるの、久しぶりだなぁ」

 呟きながら、沙知はまっすぐ下駄箱に向かった。

 靴を履き替えた沙知はふと、ばたばたと近づく足音に気がついて顔を上げた。

 新が、全速力で走り寄って来ていた。

 目の前にたどり着き、せかせかと靴を履き替えている新を、沙知は無言で見つめた。

 靴を履き替えた新が、沙知の腕をいきなりつかんで再び走り始めた。下駄箱の並ぶ玄関の端で、新が沙知の頭を抱き抱え、その場に座り込んだ。

 新の腕の中にいる沙知は、驚きのあまり声が出なかった。

 二人が身を低くしてすぐ、どったんばったんという大きな足音が近づいて来た。

 足音が止まると同時に、悔しそうに呟く声が聞こえて来た。

「ったく、新の奴!頭痛いとか言って逃げ足だけは速いじゃねぇか」

 その声を聞いて、沙知は顔を上げた。

「一樹?」

 沙知の頭を再び押さえて、新がこっそりと囁いた。

「頼む、協力してくれ。今、見つかりたくないんだ」

 疑問に思いながらも、沙知は大人しく口を閉じた。

 やがて、一樹の声がぶつぶつと呟きながら遠ざかって行った。

「やぁれやれ、助かったぁ」

 安堵のため息をつきながら、新が沙知の体を離した。と同時に、沙知は跳び退るように新と距離を置いた。

 ばくばく鳴っている胸の鼓動を隠すように、沙知は大きな声で新に向かった。

「ちょっと、いきなりなんなのよ!」

「あ、悪い悪い。あそこで奴に見つかると面倒だったからさ」

「あんた、もしかして部活さぼる気なの?そういう態度でいいと思ってんの、二年にもなって!」

 新が、ちらりと沙知に目を走らせた。

「そういう事言いながら、ここにいるおまえはなんなんだよ」

「……え?」

 途端に、沙知は目を泳がせた。

「えっと、私は。……ちょっとおなかが腹痛で」

「あ、そう。じゃあ、俺は頭が腹痛って事にしといて」

 答えながら、新が沙知に背中を向けた。

「さて。部活さぼった者同士、仲良く帰るとしますか」

「冗談でしょ。私は一人で帰ります!」

「あ、そう。じゃあ、ご自由に」

「言われなくても自由にします!」

 あっさりと道をゆずった新の横をすり抜け、沙知は大またで歩き出した。

 道を歩きながら、沙知は必死に考えていた。

 この状況はなんなんだろうか。  

 もう、新と普通に話をする事なんて永遠にないと思っていた。

 しかしたった今、二人はあっさりと言葉を交わした。それだけならまだしも、まるで抱きしめられているような事にまで……。

 毎回の事ながら、新は平気なのだろうか。

 こんな風に混乱しているのは、私だけなのだろうか。

 そんな事を思っていた沙知の耳に、新の言葉が届いた。

「言っとくけど、俺は全然平気じゃねえからな」

「……え?」

 思わず足を止めた沙知の横を通り過ぎながら、新が言葉を続けた。

「俺だってなぁ、すげぇ混乱してるんだよ。誰もいないと思ってた玄関に一番気まずい相手がいたんだから」

 新の背中を見つめながら、沙知は小さく呟いた。

「嘘だよ、そんなの」

 新の足がぴたりと止まった。

「嘘じゃねぇよ」

「嘘だよ!だって、教室でだって今だって、全然普通にしてるじゃない」

「……あのなぁ」

 ため息をつきながら振り返った新が、すたすたと沙知に歩み寄った。

「自分で言うのもなんだけど、俺は相当努力して普通にしてるんだよ。そういうのって、見てて分からない?」

「全然分からない!何も考えてないようにしか見えないよ!」

「ああ、そうかよ。じゃあ一つ訊くがなぁ!」

 めずらしく、新が声を荒げた。

「好きな奴とやっと気持ちが通じて!なのにいきなり過去をばらされて!しかも目の前で他の男が告白を始めて!さらに好きな奴が『考えておく』なんて答えたのを見て!何も考えない奴がどこにいるっつうんだよ!」

「あ……」

 思わず言葉を飲みこんで、沙知はそっと目を伏せた。

 その様子を見て、新が気まずそうに目を逸らした。

「まあ、元はと言えば俺が悪いんだけどな」

「そんな事……」

 ないよ、という言葉を、沙知は何故か口に出来なかった。

 新が、沙知に目を戻した。

「神谷の事、好きなのか?」

 沙知の肩がぴくりと揺れた。

「……まだ、分からない」

「……そうか」

 俯いたままの沙知を、新がじっと見つめた。

 新の視線を感じながら、沙知は思い切ったように尋ねた。

「ねえ、新」

「ん?」

「……私、どうしたらいいのかな?」

「……あのな、沙知」

 新の声に、少しだけ笑顔がにじんだ。

「俺に訊いても無駄だと思うぞ。今回は、お互い自分一人で考えなきゃ駄目なんだよ。しっかり考えて、自分で答えを見つけろよ。後悔しないようにな」

 沙知は顔を上げ、新の目を見つめた。

「新は、もう答えを見つけたの?」

 まったく目を逸らさずに、新が頷いた。

「ああ」

「……そう」

 呟いて、沙知は再び目を伏せた。

 俯いた沙知の頭に、新がそっと手を乗せた。

「じゃあ、またな」

「……ん、またね」

 沙知の返事を確認してから、新が背中を向けた。

 遠ざかっていく後ろ姿を、沙知はしばらくの間ぼんやりと見つめていた。






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