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二、 安藤が去ってから一分後。榊の攻撃が始まった。 「なあ、篠田」 「何?」 「おまえ、何か緊張してねぇか?」 「緊張?するわけないじゃない、そんなの」 「そうだよなぁ。毎日一緒に仕事してんのに、今更二人きりになったからって緊張なんかするわけないよなぁ」 「そうだよ、するわけないじゃない。変な事言わないでよね」 ははははは、と二人で揃って笑った後、榊の声が急に真剣になった。 「じゃあ篠田、俺を見ろ」 「……え?」 「人と話す時は相手の目を見ろって、小さい頃に習わなかったか?」 「え……っと」 思わず目を泳がせながら、私は必死に上手な言い訳を探した。 「昨日、寝違えちゃって。首が回らないんだよね」 「そんなの、昼間全然言ってなかったじゃねぇか」 「あ……」 痛いとこ突かれてうつむいてしまった私の耳に、榊のため息が聞こえた。 「どうも最近逃げ腰だよな、おまえ。あの、安藤精肉店の冷凍室に閉じ込められた日から」 「そんな事ないよ」 「そんな事あるね」 即座に否定した榊が、うつむいている私の顔を覗き込んだ。 「おまえ、あれか?もう、安藤の事を?」 「何言ってんの?」 「俺は、もう駄目か?俺じゃ駄目なのか?」 「……ねえ、榊」 榊の言葉を跳ね返すように、私は思い切って顔を上げた。 「ねえ、榊。何で私なの?この店、私以外にも女の子いるじゃない。お客様だって可愛い子いっぱいいるし」 「……まあな」 「それに、あんたこの間お客様に携帯番号渡されたって言ってたよね。あの子、すごく可愛いかったじゃない」 「まあ、な」 「電話してあげたの?」 「いや。悪いけど、あの紙捨てた」 「何で?かわいそうじゃない」 「仕方ねぇだろ。興味持てなかったんだからさ」 私から目を逸らしつつ、榊が頭をかいた。 「そりゃ、あの子はすげぇ可愛かったけどさぁ。それだけなんだよな」 「それだけって?」 「なんつうか、あの子はすげぇ今時の子って感じでさ。見てる分には目の保養になるけど、ただそれだけで。ずっと側にいたいって思えるような、気が合うタイプじゃなかったんだよ」 「そんなの、ぱっと見ただけで分かるの?」 「ああ、それがなぁ。分かるんだよ、これが」 笑顔を浮かべて、榊が私を見た。 「すぐ分かったんだよ、俺。おまえを見て」 榊の意図に気づいて、私はとっさに顔を伏せた。 「……ずるいよ、それ」 気まずく呟く私に、榊が笑顔を含んだ声を掛けた。 「甘いな、篠田。俺はな、こう見えて意外と人生経験豊富なんだよ」 「恋愛経験の間違いじゃないの?」 「人聞きの悪い事言うなって。俺は一途な男だよ」 さらりと答えてから、榊が私の顔を両手で挟んで持ち上げた。 「……ちょっと。何してんのよ」 「こうしないと、おまえ逃げるし」 「……逃げさせてよ、お願いだから」 「駄目。そろそろ、質問に答えてもらわねぇとな」 笑顔で話していた榊が、ふいに真剣な表情を浮かべた。 「なあ、篠田。俺じゃ駄目か?」 「……え?」 「おまえの側にいるの、俺じゃ駄目か?」 「あ、あのね、あの……」 「俺、大事にするから、おまえの事。絶対に」 「あの……、私……」 逃げ場をなくして追いつめられて、何だか頭がくらくらしてきた。そんな私の耳に、遠くの方からものすごい速さで靴音が近づいて来るのが聞こえた。 靴音が途切れると同時に、シャッターの隙間から缶を握った手が飛び込んで来た。 「榊さん、酒です。どうですか、一杯きゅっと」 「お、気がきくな、安藤」 あっさりと私から手を離し、榊がチューハイの缶をつかみ取った。 唖然としながら見守る私の目の前で、榊は三五〇ミリリットルの缶を一気にあおった。 「ぷはぁ!きくなぁ!」 カンっと音を立てて缶を置いた榊の前に、安藤が次々とチューハイを並べ始めた。 「さぁさぁ、どんどん飲んで下さい。大量に買って来ましたからね」 「そうか?悪いなぁ」 二本目をつかみながら、榊がにこにこと嬉しそうに笑った。 「いやぁしかし、やっぱあれだな。いいな、酒は。この一杯のために生きてるんだよな、俺って奴はな」 すでにわけ分かんなくなって来ている榊を見つめていた私の胸に、段々と怒りが湧いてきた。 「……まったくこいつは!」 「ん?どうした、篠田。おまえ、飲まないの?」 「うるさい!いいから黙って飲みなさい、全部。飲んで謝りなさい!」 「なぁんで謝らなきゃいけないんだよ。俺、何も悪い事してねぇのに」 「いいの!いいからとにかく飲みなさいってば。ほらほら早く!」 安藤が並べた缶を、私は全部開けてやった。ますます嬉しそうに、榊はそれらを次々と飲んでいった。 しばらくして、榊は私に土下座した。ありとあらゆる理由で謝り続ける榊を見て、私はとりあえず許してやる事にした。 かなり、複雑な心境ではあったけど。 |
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