帰りたい時-1

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一、

 ぎりぎりまで下ろされたシャッターの向こうで。
 安藤(あんどう)が呟いた。
「何でこんな事になるんでしょうね」
 続けて、私も呟いた。
「ほんとに、何でこんな事になっちゃってるのよ」
 続けて、榊(さかき)が呟いた。
「……何で、なんだろうなぁ」
 思わず口走った私の言葉が、安藤とかっちり重なった。
「何か、うっすら喜んでるし!」


 私は、篠田幸(しのだ ゆき)。二三歳のフリーターである。
 ここは私のバイト先の雑貨店で、隣にいる榊はバイト仲間である。
 安藤は、お隣のお店「安藤精肉店」の一人息子で販売員。私達はみんな同い年で、まあまあ仲が良かったりする。
 現在時刻は午後九時三〇分。今から三〇分ほど前、遅番スタッフである榊と私は店を閉めるべく、電動のシャッターを下ろしていた。
 ところで、今日は何だか天気が大荒れで、今も外に面したウィンドーから激しい雨と雷の音が聞こえてきている。
 一瞬の出来事だった。
 シャッターと床との間が約一五センチほどになった時、いきなり激しい雷の音が館内に響き渡った。それと同時に全ての照明が消え、真っ暗になったのだ。
 一〇秒ほどしてから、店中の非常灯が灯った。五分ほどしてから、館内放送で落雷による停電のお知らせが流れた。だが、それを聞いたからって私達の状況が変わるわけでもない。
 この店は一階にあるため、閉館時間になっても帰路につくお客様が前の通路を通る。そのため、一旦シャッターを閉めてから閉店作業を進め、帰る時にシャッターを開けて店を出て、改めて閉め直すという決まりになっていた。
 その、一旦シャッターを閉めた際に起きた出来事だった。
 仕方なく、榊と私は弱々しい非常灯の下で閉店作業を終えた。そして今、下りかけのシャッターに寄りかかって座っているわけだ。
 シャッターの向こうにいる安藤が、作ったような明るい声を私達に掛けた。
「大丈夫ですからね。今、警備の方が色々努力してくれてますから」
 私の横で、榊が答えた。
「分かってるっつうの。さっき青木さんが説明してくれたの聞いてたよ」
 青木さんというのは、三〇代半ばくらいの警備員さんである。結構長いことこのショッピングセンターにいて、色々なお店のスタッフに、きさくに声を掛けてくれる人だ。その青木さんは今事務所にいて、このシャッターを取り付けた会社に電話してくれている。
「ねえ、安藤」
 私の呼びかけに、安藤が答えた。
「はい、何でしょう?」
「この停電って、まだ終わりそうにないの?」
「ええ」
 途端に、安藤の声が曇った。
「どうもこの辺一帯、全部停電らしいんです。かなり激しい落雷だったみたいで、どれくらいで復旧するかは電力会社もはっきり言えないらしくて……」
「そっかぁ」
 ため息をつきながら、私は長期戦を覚悟した。
 それにしても。
 天井にぽつんぽつんと灯る非常灯を見上げて、私は思った。非常灯というのは、本当に非常のためだけのものなのだなぁと。
 直径五センチくらいの小さな電球。その電球から発せられる灯は、暗いオレンジ色でとても弱々しい。
 ひとりだったら、とても耐えられないうら寂しさだ。
「……榊がいてくれて良かったぁ」
 呟いた声を聞いて、榊が私に顔を向けた。
「珍しく可愛い事言うじゃねぇか」
「珍しいって何よ」
 榊を軽くにらんでから、私は言葉を続けた。
「真っ暗な店って、何かすごく恐くない?普段は店中明るくて、光が届かないところなんてないのに。何だか、あの真っ暗なところから」
「何か出てきそう、って?」
 言葉を取り上げた榊が、軽く笑いながら私の肩に手を置いた。
「心配するな。たとえ何かが出てきても、俺が何とかしてやるから」
「……うん」
 榊の笑顔を見ながら、私は小さく頷いた。
 途端に、背後から緊迫した声が響いてきた。
「篠田さん、僕もいますからね!安心して下さいね!」
 その声の大きさに耳を塞ぎながら、私はうんうんと何度もうなづいた。
「分かってる!分かってるってば!ありがとね、安藤」
「……安藤」
 同じように耳を塞いでいた榊が、シャッターの向こうに声を掛けた。
「おまえ、ちょっとコンビニ行って来い。行って食料を調達してくるんだ」
「え、何で僕が?」
「おまえしか動ける奴いねぇだろうが。俺は腹が減って死にそうなんだよ」
「そんなの、そこで売ってるお菓子でも食べればいいじゃないですか」
「商品に手をつけるわけにいかないんだよ。早く行って来いって」
「無茶言わないで下さいよ。ここからコンビニまで結構掛かるんですよ。それに、営業してるかも分からないし」
「冷たいなぁ、おまえって奴は。ひもじい人間をそのままにしておくつもりか?」
「そんな事言って榊さん、本当は篠田さんと二人っきりになろうとしてるんでしょう?」
 一瞬、榊が声をつまらせた。
「……何を言っているのだ、君は」
「ほら、やっぱり。そうは行きませんからね。僕は絶対に、ここを離れま」
 「ぐぐぅー」という低く長い音が、ふいに辺りに響いた。言葉を遮られた安藤が、少ししてから尋ねた。
「……今の、どっちのお腹の音ですか?」
 顔が赤くなっていくのを感じながら、私は答えた。
「……私、です」
「……コンビニ、行ってきますね」
 シャッターを揺らしながら立ち上がった安藤が、訴えかけるような声で私に呼び掛けた。
「いいですか、篠田さん。気をしっかり持って下さいね。どんなに心細くても、榊さんの口車に乗せられちゃいけませんよ」
 答えようとした私より先に、榊が甲高い声を出しながらシャッターの隙間に右手を突き出し、ぶんぶんと振った。
「大丈夫よ、安藤。私、大人しくしてるからぁ」
 その榊の手が、安藤の足に踏みしめられた。
「じゃ、行ってきますね、篠田さん」
 そのまま、ものすごい速さで靴音が遠ざかって行った。
「まったく。冗談の通じない男だ」
 踏まれた右手を振りながら、榊が苦笑いを浮かべた。
「なあ、篠田。おまえもそう思うだろ?」
「……うん、まあね」
 適当に答えながらも、私は何だか少し緊張し始めた。
 こんな異常な状況で榊と二人っきりになるのは、出来れば避けたかったのに。



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